日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

2021-01-01から1年間の記事一覧

天正16年発給秀吉文書の概観

今回から天正16年発給文書に入る。発給文書227通の内訳は以下の通りである。 Table. 天正16年秀吉発給文書数 合 計 227通 公家宛知行充行 29通 12.8% 武家宛知行充行 33通 14.5% 寺社宛知行充行 7通 3.1% 知行充行小計 69通 30.4% 自力救済の否定 29通 12.8%…

元和5年(1619)2月21日奉行所宛山城国葛野郡原村惣中訴状

乍恐申上候 一、丹波国出雲村与山城国原村与山の出入*1二付、□□(御見)使被仰付被成御覧候間、有体可被仰上候間紙面に不申上候事、 一、山城国与丹波与堺目、①先々より無紛義ニ御座候、然処ニ②出雲村之領内之由、新義ニ申懸候事前代未聞ニ御座候事、 一、去…

天正15年12月24日山城国福寿院宛豊臣秀吉朱印状写

原・越畑両村*1山役并炭薪*2事、被成免除*3上者如有来山林共可令存知*4者也、 天正十五*5 御朱印 十二月廿四日 秀吉 福寿院*6 (三、2404号) (書き下し文) 原・越畑両村山役ならびに炭薪のこと、免除なさるる上は有り来たるごとく山林ともに存知せしむべ…

天正15年12月22日生駒親正宛豊臣秀吉朱印状

覚 一①、さぬきの国*1にをいて為御蔵入*2、高壱万五千石を以定納壱万石、雅楽頭*3御代官*4仕可致運上事、 一②、拾壱万石之分ニ、人数五千五百人の役儀*5可仕事、 一③、残る壱万六千弐百石ハ雅楽頭台所入として*6役なし*7に被下候事、 一④、のこるあれふ*8の…

天正15年12月10日小早川隆景宛豊臣秀吉判物

(黒字ゴシック体は小早川隆景への敬意表現、赤字は秀吉の自敬表現) 九州儀、小西摂津守*1罷上言上之通、具聞召候、其表有居陣、入精被申付之由尤候、然者肥後表之一揆和仁*2・辺春*3取巻由、寒天之刻、痛入雖被思召候、併其方外聞候之間、以仕寄*4責崩候歟…

天正15年11月15日鍋島直茂宛豊臣秀吉朱印状

去月十二日之書状、一書*1之旨被聞召候、殊綱一懸*2、志之程悦思召候、 一、肥後国〻諸侍一揆共、陸奥守*3仕様悪由申候て、企謀叛之族、無是非次第候、就其其方事、行*4等無由断之段、尤苦労共候事、 一、七郎左衛門尉*5ニ被遣候城・知行へ、在陣之留主をね…

天正15年11月5日黒田孝高・毛利吉成宛豊臣秀吉朱印状

去月十六日書状并毛利右馬頭*1書中、何も具聞召候、 一、岩石*2儀、右馬頭人数差越可押詰*3段、尤思召候事、 一、城井面*4儀是又輝元*5人数差遣、成敗可申付旨候、一揆原根之無之事候間*6、手間入間敷と思召候、乍去此式之儀ニ自然卒尓*7之動*8無用候、押詰…

天正15年10月27日某宛豊臣秀吉朱印状

今回はかなりの長文であるが、秀吉が九州で直面していた諸勢力による「反乱」を俯瞰できるものなので全文掲げておきたい。充所を欠いている理由として①裁断されているなど物理的・外的原因による、②朱印を押捺したが充所を記さずにそのまま発せられることが…

天正15年10月21日安国寺恵瓊宛豊臣秀吉朱印状

肥後国侍同*1百姓以下申分於在之者、聞届可遂言上候、被聞召届可被加御下知*2候也、 十月廿一日*3(朱印) 安国寺*4 (三、2363号) (書き下し文) 肥後国侍、同じく百姓以下申し分これあるにおいては、聞き届け言上を遂ぐべく候、聞し召し届けられ御下知を…

天正15年10月16日野々口五兵衛宛豊臣秀吉朱印状

丹波所〻*1そま*2の事 一、拾人 桑田郡 へちゐん*3村 一、拾人 同 ほそかう*4村 一、弐拾人 同 のゝむら*5 一、五人 船井郡 ほんめん*6村 一、拾人 多紀郡 むらくも*7村 一、三人 氷上郡 かとのむら*8 一、三人 同 かいはら*9村 一、五人 同 くげ*10村 合六…

天正15年10月14日宗義調・宗義智宛豊臣秀吉朱印状

態染筆候、肥後*1国一揆等少〻令蜂起付而為可成敗、小早川左衛門佐*2・黒田勘解由*3・森壱岐*4被差遣候、毛利右馬頭*5も自身罷立候、猶様子為可被聞召、小西摂津守*6被差遣候、依一左右御人数之儀、大和大納言*7・江州中納言*8・備前宰相*9、其外四国之者共…

天正15年10月14日島津義久宛豊臣秀吉知行充行状

為在京之堪忍*1分*2、於上方壱万石宛行訖、所付*3儀者来春可被仰付候*4、当年者以物成*5半納分*6、八木*7五千石被下候条、各支配在之、堪忍方相続*8候様可然候也、 天正十五 十月十四日(花押) 島津修理大夫*9 とのへ (三、2354号) (書き下し文) 在京の…

天正15年10月13日加藤清正宛/増田長盛宛豊臣秀吉米切手写

八木*1弐千石、島津修理太夫*2ニくたされ候間、慥ニはかりわたすへきものなり、 天正十五 十月十三日 御朱印 かとうかすへ*3 八木千石 そうふへきうない*4 八木千石 こいてはりまのかミ*5 はちすかあわの守*6借用*7之米千石、島津修理太夫ニくたされ候、たし…

明暦3年4月29日「免盛」定めにつき

これはある藩が「免盛」を定めるときの心構えを定めたものである。「盛る」とは「目盛」のようにあるものを測るときの基準のことで、「免」は年貢を意味する。つまり年貢率を定める手順(プロシージャー)を示した文書である。 (書き下し文) 一、①免盛の時…

慶長3年1月10日上杉景勝宛豊臣秀吉朱印状 奉公人・侍・百姓

武家、奉公人と百姓の関係を端的に物語る史料がある。越後から会津へ転封された上杉景勝宛の、会津に連れて行くべき者と連れて行ってはならない者を秀吉が景勝に明示した朱印状である。 今度会津江国替ニ付而、①其方家中侍之事者不及申、中間・小者ニ至る迄…

NHK時代劇「大江戸を斬る」 最終回

1. 細川家文書に見る「日雇」 まずこの画面を見ておきたい。 傍線部の1行前から 拾四匁壱分*1弐厘八毛… 会所惣国日雇請人… 其外諸入目*2并… とある。どうも日雇い労働者やその身元保証人である「請人」に関する「諸入目」=諸経費の概算が記されているらしい…

NHKスペシャル 「大江戸」 第1回の問題点 4 公儀普請への人足徴発(加賀前田家)

「暖簾に腕押し」「糠に釘」状態なので今回でこの話題は終えることとする。大学のレポートとして及第点はもらえないがテレビ番組としては成立する現状は憂うべきと思う一方、所詮エンターテインメントに過ぎないといってしまえばそれまでである。 この番組は…

NHKスペシャル 「大江戸」 第1回の問題点 3 奉公人の存在

今回は「奉公人」について述べる。 まずは数年前メディアで話題となった新発見の藤堂高虎宛小堀遠州書状を見てみよう。 史料 寛永3年12月17日藤堂高虎宛小堀正一書状 (翻刻文) 一、上方相替事無御座候、京 いなかともニ民百性・町人 奉公人まても米無之、…

NHKスペシャル 「大江戸」 第1回の問題点 2

さてまず①の「 サムライが築いた」の意味するところを考えてみたい。 言い換えると中近世移行期における「侍」とは何かという問題である。様々な意味で使われるため一言で説明することは困難であるし無意味でもあり、結局史料の文脈ごとに個別に判断せざるを…

NHKスペシャル 「大江戸」 第1回の問題点 1

NHKスペシャル「大江戸」は時代劇としては面白いが、史実=再現ドラマかと問われると首を横に振らざるを得ない。好評だそうだがあくまでもフィクションとして楽しみたい。以前にも疑義をはさんだことがあるが、最大の問題はどこまでが史実の復元でどこからが…

年貢割付状と年貢皆済目録

どうも地方(じかた)文書に対する認識の甘い某国営放送だが、近世古文書学の教科書である『概説古文書学近世編』(吉川弘文館、1989年)から年貢割付状と皆済目録の部分を引用しておく。 割付状 上は文禄4年9月1日付の年貢割付状であるが、11月中にすべて納…

天正15年10月13日有馬晴信(カ)宛豊臣秀吉朱印状

①肥前国一揆等端〻*1令蜂起之由候、指儀*2雖不可有之候、迚*3御人数被遣儀候条、卒尓*4之動不可仕候、小早川左衛門佐*5・黒田勘解由*6・森壱岐守*7久留米*8ニ在之事候、毛利右馬頭*9早速可着陣候条、無越度*10様専一候、 御人数之儀者、左右次第追〻可被遣候…

天正15年9月26日深水長智宛豊臣秀吉朱印状

去月廿九日九ヶ条*1之趣、今日廿六於京都具被加披見候、条〻示*2越候段、神妙思召候、 一①、其国一揆等令蜂起之儀、陸奥守*3背殿下*4御下知、国侍ニ御朱印之面知行等不相渡、既及餓死付、無了簡*5仕立*6之由候、并在〻検地俄申付、下〻法度以下猥故*7、百姓…

天正15年9月21日小早川隆景宛および鍋島直茂宛豊臣秀吉朱印状

(史料1) 去八日書状并安国寺*1紙面之通、今月廿一日於京都加披見候、然者其方久留米へ相越、先之様子被聞合之由尤候、誠去年以来長〻在陣、其許可有付*2内、無幾程出陣之儀、辛労之段痛入候、先書如仰遣候、陸奥守*3肥後国侍ニ朱印之面知行等依不相渡候歟…

天正15年9月19日小早川隆景宛豊臣秀吉判物

去五日書状安国寺*1住*2進之旨、加披見候、然者其方久留米*3へ相移、先勢至南関*4着陣之処、城中入相之由尤候、①先書*5如被仰遣候、陸奥守*6背(闕字)御朱印旨、国侍ニ知行不相渡候哉、如此仕合、無是非次第候、就其条〻安国寺かたへ被仰遣候間、得其意、②…

天正15年9月13日毛利吉成・黒田孝高宛豊臣秀吉朱印状

去月廿七日之書状、今日十三於京都加披見候、肥後面之儀、入精切〻註進、遠路之処悦思召候、殊遣検使、小早川藤四郎*1・龍造寺*2、其外肥前・筑後之人数相立之由尤候、隆景*3者くるめ*4城ニ有之而、先手之者一左右次第、無緩可相動候、先書*5如被仰遣候、①陸…

天正15年9月8日毛利吉成・黒田孝高宛豊臣秀吉朱印状

於肥後国御朱印被下候*1国人之事*2 志岐兵部大夫*3 上津浦愛宮*4 栖本八郎*5 西郷越中守*6 赤星備中守*7 城十郎二郎*8、父讃岐入道*9在大坂 伯耆次郎三郎*10、在大坂 内空閑備前守*11 小代伊勢守*12 関城主*13 隈部但馬守*14 八代拾四人衆 同所参十人衆 阿蘇…

天正15年9月8日福島正則宛豊臣秀吉朱印状

条〻 一①、下〻*1法度之儀堅申付、百姓以下ニ少も非分之儀不申懸、所務等*2之儀有様*3可申付事、 一②、民部少輔*4申付候内ニ、自然堺目等下〻申事雖有之*5、左衛門大夫*6罷越、身ニ請*7、精を入可馳走*8候、又左衛門大夫申付候内ニ有之共*9、民部少輔罷越、…

天正15年9月8日小早川隆景宛豊臣秀吉朱印状

能島事*1、此中海賊仕之由被聞召候、言語道断*2曲事、無是非次第候間成敗之儀、自此方*3雖可被仰付候、其方持分*4候間、急度可被申付候、但申分*5有之者、村上掃部*6早〻大坂へ罷上、可申上候*7、為其方成敗不成候者*8、被遣御人数*9可被申付候也、 九月八日…

天正15年9月8日小早川隆景宛豊臣秀吉判物

此御朱印*1見分、陸奥守*2其外へ、早〻可被相届候、 去月廿三日書状、今日八日於大坂披見候、肥後表之儀付而、安国寺*3境目迄遣、一定之儀*4被申越候、満足思召候、 ①一、由断在之間敷候へ共、弥被入精、筑後衆・肥前衆両国之者、肥後へ龍造寺*5申談、藤四郎…