日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

2017-10-01から1ヶ月間の記事一覧

新発見 堀尾吉晴の息子忠氏発給文書を読む

前回読んだ秀吉文書の宛所にあった堀尾吉晴の息子忠氏発給文書が発見された。 www.sankei.com www.yomiuri.co.jp 画像は毎日新聞による。 https://mainichi.jp/articles/20171027/ddl/k32/040/418000c 知行方之目録 八百六拾石之内 出東郡 一、四百参拾石 宇…

新発見 本能寺の変から2ヶ月後の秀吉発給文書を読む???

2017年10月26日、秀吉発給文書新発見のニュースが飛び込んできた。本能寺の変から2ヶ月後の京都支配に関するものだという。 www.yomiuri.co.jp www3.nhk.or.jp そこでここで読んでみることにした。 ところで信長を「上様」と呼ぶことについてはすでに当ブロ…

秀吉の検地に懸ける意気込み 「一郷も二郷も撫で切りにせよ」 その1

小田原の後北条氏を平定した1ヶ月のち、秀吉はこんなことを述べている。 書状之旨、於小田原披見候、出羽奥州其外津軽果迄も百姓等刀武具駈、検地以下被仰付、伊達山形初而足弱共差上、被明御隙候付而、従会津今日当城迄被納御馬候、然者、為迎吉川中務少輔…

ファミリーヒストリー 壇蜜家文書を読む

古文書という副題に興味をそそられ、ここで読んでみることにした。番組のナレーションは聴いていないので、詳しいことはそちらに任せるとして翻刻だけ試みたい。 FIG.1 於江戸表御軍用 御備被成下度 御紋付羽二重此原 御幕令献上、御時節柄 御用ニ相立、彼是…

訂正 というより言い訳

どうも読み方を誤ったようだ。時代劇の見過ぎがいかによくない影響を及ぼすのか今回ほど身に染みたことはない。前回のブログ中で「其方」を「そのほう」と読んでしまったが、「そち」あるいは「そなた」と読むべきかも知れない。 japanesehistorybasedonarch…

書状の年次比定が変更される事例 木下藤吉郎秀吉発給文書をめぐって

先日以下の記事を書いた。 japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com そこで木下藤吉郎秀吉と名乗る文書を東京大学史料編纂所のデータベースで検索してみると、天正3年とされる文書を見つけた。 余談だがそれぞれのデータベースの仕様が異なるのか、ひ…

2015年7月10日報道の木下藤吉郎秀吉発給文書を読む???

2015年7月に報道された新発見秀吉発給文書は残念ながら名古屋市立博物館編『豊臣秀吉文書集1(永禄8年~天正11年)』(2015年2月)に間に合わなかった。そこでここで読んでみることにしたい。 まず前半部分の写真を掲載したのは毎日新聞だけだった。記事はす…

石田三成島津分国検地掟写を読む その9/止

今日で全11条を終える。 一、川役の事其むらゝ ゝニて見斗、年貢相定可申事、 已上 石田少様 在判 文禄三年七月十八日 薩州奉行中 (書き下し文) ひとつ、川役のことそのむらむらにて見計らい、年貢あい定め申すべきこと、 *川役:川にかかる年貢や運上。 …

石田三成島津分国検地掟写を読む その8

第9、10条を読む。なお今回より長浜市立長浜城歴史博物館(『石田三成第二章』(2000年)から引用する。 一、其村々々ニて庄屋・肝煎此両人居やしき斗可相除事、 一、樹木之類何も今迄之地主・百姓進退たるへし、公方へ上り物ニて在之間しく候事、 (書き下…

大政奉還に関する新史料発見の報道によせて

13日に報道された大政奉還に関する新史料から、文書における敬意表現を見てみたい。 https://mainichi.jp/articles/20171014/k00/00m/040/045000c まず、右ページ1行目が「我」のたった1文字で改行されていることがわかる。これが、9月に話題になった光秀書…

石田三成島津分国検地掟写を読む その7

第8条を読むまえに「公方」について考えたところを述べておきたい。これまで秀吉、あるいは島津と個別の領主を考えていたが、どうも両者を含む総称ではないかと思えてきた。 というのも公方には「おおやけがた」という読みがあるように本来は「公的」なもの…

お知らせ 日銀貨幣博物館の企画展

日銀貨幣博物館で企画展をやっているというニュースがあったのでサイトをのぞいてみた。 日本銀行金融研究所貨幣博物館 - 19世紀日本の風景 錦絵にみる経済と世相 過去の企画展の図録や古文書の写真も無料でダウンロードでき、貨幣史や経済史の専門家による…

石田三成島津分国検地掟写を読む その6

今日は第7条を読む。 一、漆之事、是又其村々ニて大形見斗、米つもりニ成共、又ハ銭つもりニ成共、但シうるし成共相定可書載、是ハ屋敷ニて無之所在之うるし事にて候、畠ニ在之うるしも畠主進退たるへき也、上分ニハ成ましき也、然ハうるしの木在之屋敷并畠…

石田三成島津分国検地掟写を読む その5

japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com 引き続き第6条を読んでいく。 一、茶ゑん之事、年貢をもり申間敷候、検地仕候上ハ、公方へ上り可申物ニあらす候、但ちやゑん在之屋敷並畠、検地之時少心持あるへき事、 (書き下し文) ひとつ、茶園のこと、…

石田三成島津分国検地掟写を読む その4

japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com 続いて第5条を読んでいく。 一、くろかねの事、是又見斗、年貢つもりニ成共、米つもりニ成共、可仕候、公方へ上り物ニ候間、但ほり申をも迷惑不仕様ニ念を入、つもり可申付事、 (書き下し文) ひとつ、くろ…

「天正3年3月17日今川氏真宛織田信長朱印状」

2017年10月8日放送分「おんな城主直虎」にて今川氏真が、織田信長の命により蹴鞠を披露する場面が紹介された。そこに登場するのが「天下布武」印が捺された朱印状である。 日付は「七日」と見えたので天正3年3月7日か17日、宛所は上総介=氏真宛、文面は「可…

天正10年6月13日乃美宗勝宛足利義昭御内書解釈への疑問

本能寺の変後、足利義昭が再上洛を果たそうして様々な大名に働きかけていたが、なかでも6月13日付の御内書は有名である。 (本法寺文書:引用は『大日本史料』第11編2冊801頁) 信長討果上者、入洛之儀、急度御馳走由、対輝元・隆景申遣条、此節弥可抽忠切事…

2017年10月6日に報道された秀吉直筆の文書を読んでみる について少々弁明

昨日以下の記事を書いたが、「あり」ではなく「あか」と読み「英賀」を指すのではという話を小耳に挟んだので、弁明(=逃げ道を用意)したい。 japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com 仮名の「か」と「り」はよく似ていて、伊地知鐵男編『増補改訂…

2017年10月6日に報道された秀吉直筆の文書を読んでみる

本日もまた秀吉直筆の文書が見つかったと報道された。 www.kobe-np.co.jp 画像は2017年10月6日17時付神戸新聞より https://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201710/p1_0010619903.shtml 五人ふちありけんハ に出し可申候 なり 天正十三月十日 (秀吉花押) 甚…

石田三成島津分国検地掟写を読む その3

以下の記事の続きを書いてみる。 japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com (四条目) 一、藪之事、其藪々々ニて、とし々々ニ十分一きり十分一之内を藪主ニ十分一可遣之候、 たとへハ百本在之やぶニて…

足半草履についての追加情報

japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com 上の記事で紹介した、「足半草履」がNHKBSプレミアム「偉人たちの健康診断」10月5日放送分において紹介されました。出演者が実際に履いてみるという貴重なシーンもありますので、再放送をご覧になる機会があ…

天正14年正月19日発給豊臣秀吉文書に見る「侍」

天正14年(1586)1月19日、豊臣秀吉は「奉公人につき定め」と後世呼ばれる文書を大量に発した。 定 一、諸奉公人、侍之事ハ不及申、中間・小者・あらしこに至まて*1、其主にいとまを不取出候儀、曲事に候之間、相抱へからす、但前の主に相届、聢合点在之ハ是…

2017年7月発見の織田信長朱印状を読んでみる

2017年は織豊期史料の当たり年ではないかと思うくらいに新発見が相次いだ。今日はこの記事にある文書を読んでみる。 www.nikkei.com 御園之内神田郷所務之事、米銭小成物方并保内之内御来被官九人等澤与助如当知行宛行畢、皆一職申付上者、人夫役諸役令免許…

石田三成島津分国検地掟写を読む その2

引き続き文禄3年「石田三成島津分国掟写」を読んでいく。 (三条目) 一、綿之事、兎角公方へ上り可申物ニ候間、米成にても又綿にて成共、百姓も迷惑不仕様ニ、又公方之失墜も不行様ニ、其所之桑之有様躰見合つもり候て、帳ニ可書載候、然上者、桑之在之屋敷…

新発見光秀書状に関する藤田達生氏の詳細な解説=プレスリリース

藤田達生氏による今回の発見について詳しい解説がプレスリリースとして公開されたので、ここにリンクを貼ることにする。 www.mie-u.ac.jp http://www.mie-u.ac.jp/R-navi/release/pdf/%E3%80%90%E4%B8%89%E9%87%8D%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%80%91%E3%83%97%E3%8…

永禄11年11月9日 祝田郷宛、次郎直虎・関口氏経連署の徳政に関する文書を読む

Googleで古文書を画像検索したところ、今話題の井伊家の文書が出てきた。すでに『大日本史料』第10編1冊687~688頁に掲載されているが、「百姓」は原文で「百性」となっているので、あらためて翻刻してみた。写真はこちらのサイトから引用させていただいた。…

石田三成島津分国検地掟写を読む その1

文禄3年(1594)7月16日石田三成が「薩州奉行」へあてた検地掟を少しずつ読んでみる。典拠は宮川満『太閤検地論第Ⅲ部』327~328頁(1963年、御茶の水書房)によった。 34. 石田三成島津分国検地掟写(長谷部文書) (端裏書) 「石治少様掟之写十壱ケ条」 覚…