1. 細川家文書に見る「日雇」
まずこの画面を見ておきたい。
傍線部の1行前から
拾四匁壱分*1弐厘八毛…
会所惣国日雇請人…
其外諸入目*2并…
とある。どうも日雇い労働者やその身元保証人である「請人」に関する「諸入目」=諸経費の概算が記されているらしい。この史料により「サムライが築いた」とは「日雇が築いた」の意味であることが示された。この意味ならあながちまちがいとはいえない。
白峰旬氏は堀などの比較的単純な作業は「日用」に、石垣など技術を要する作業には「中間・小者」などに命じたことを指摘している。日用(日傭)とは「日用取」ともいい*3日雇い労働者を意味した。
http://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/dk05110.pdf?file_id=4012
細川忠興が忠利に「日用」に天守台の構築は無理だと述べているとの指摘は、このドラマの再現性をうらなう重要な試金石となる。
技術を要する作業に熟練労働者を充てるのはごく普通の発想であるが、再現ドラマでは細川家家臣が船の操舵にあたっていた。海の藻屑と消えてしまわないか、座礁してしまわないか気になる点はいくつもある。その点秀吉は文禄2年2月5日朱印状*4で「高麗へ召し連れ候舩頭・水主ともあい煩い、過半死のよし申し越し候」との報告を受けて、浦々に残る水主をことごとく調べ上げ15歳から60歳までの者を渡海させるよう命じており気が利いている。船は船頭や水主に任せるべきだろう。まあここで番組製作者は別の意味で「船を漕いで」しまったようだが。
寛永14年1月26日の手紙で、江戸で諸物価が値上がりし「日用」が人手不足になっていると指摘し見通しをこう述べている。
御普請・御作事*5こと済みそうらわば、いまよりは自ずから心やすくなり申すべき儀と存じ候こと、
公儀普請により「日用」不足が起きているというのだ。この普請に日用が駆り出されていることを細川家は認識していたわけである。
どうやら日雇い労働者を細川家が雇い入れたことは間違いなさそうだが、画面に示された「日雇」とどう関係するのかわからないままだった。
2.加賀前田家の徒・若党・小者・草履取
「かち・若党」、「小者」、「草履とり」の給金をこまごまと定めており、彼らが「一年切り」の奉公人だったこともうかがえる。
つづいて以下の法令を参照されたい。
(書き下し文)
①町人・百姓によらずあるいは奉公人、あるいは日用取として他国へ相越すこと堅く御停止候、
②諸給人知行所のうち田畠構いなき者相改め、相並ぶる給銀を宛て、当給人方へ召し仕るべきこと、
③御国の者ども商いまたは奉公のため他国へ罷り越し候者、その年切り*6に罷り帰るべき旨、最前より定め置かせられ候、
①より「百姓・町人」が「奉公人」や「日用取」として雇傭されている現状が読み取れる*7。
②の「給人」は「知行所」という「一所懸命の地」を与えられた武士らしい武士で「地頭」とも呼ばれる。
8月26日に公儀普請のため新たに触が出されているが②はより厳密にこう書かれている。
諸給人知行所の百姓、田畠相構わざる者相改め、来年江戸御普請*8中召し使うべし、給銀は右同前のこと、
給人の知行所に住む百姓のうち田畠の耕作に従事していない者を来年の公儀普請で傭えと、さらに「日用取奉公のため」他国へ出ることは禁ずると触れている。
3.一季居奉公人
寛永15年2月22日付書状には次のようにある。
寛永13年1月19日一季居奉公人を今期で解雇することなくそのまま召し置くようにとの触が、幕府より各大名に発せられたことを受けての記事である。細川家もご多分に漏れず一季居奉公人を抱えていたらしい。
4.くずし字を機械に読ませても…
以上翻刻されている史料集をネットで検索するだけの検証を試みた。この程度ならNHKご自慢の「AIひろし」にとって朝飯前の作業であるはずである。くずし字を読めても意味までわかるわけではないし、先入観が目を曇らせることもある。「発明した物語」に都合のいい根拠を提示することをチェリーピッキングというが、それにすらなっていないことを自覚すべきである。