2018-03-01から1ヶ月間の記事一覧
増田四郎氏はヨーロッパ中世史の研究者で、門下生に「ハーメルンの笛吹き男」や「世間学」で著名な阿部謹也氏、ピレンヌテーゼで世に知られるアンリ・ピレンヌの著書を邦訳された佐々木克巳氏、学生に英語以外の外国語でレポートを提出させたと仄聞するビザ…
幕末製造の洋式銃など40丁見つかる 堺の鍛治屋敷から:朝日新聞デジタル https://t.co/Spxz2HAfkf — 八木書店出版部 (@yagisyoten) 2018年3月29日 雷金砲註文一、玉目拾匁一、筒鉄張り一、火皿引金等者黒 彩色之分赤銅色付一、鎗之工合者兼而御咄 合申置候…
明後日廿六、宇津表及行付、至桐野河内着陣候、然者各有其御心得、鋤鍬其外普請道具有用意、至彼表可有着候、人数之事、不寄土民・侍男之類、可被召具候、杣在次第、まさかりを持可被相連候、若雨降候者可為廿七日候、少降候義者不苦候、聊不可有油断候、於…
「内府ちがいの条々」は文字通り、各大名に檄を飛ばす檄文である。したがって、各大名家に伝わっているのだが、原本=正本の場合もあれば、写もある。もちろん原本の方が望ましいのだが、写は写で歴史の別の側面を浮かび上がらせることがある。 「日本古文書…
兵庫県立歴史博物館『ひょうごと秀吉』展示図録、41、42号、28頁、2017年 (表紙:竪冊) 「 天正十四年十一月三日 あわちの国わきさか中務知行目録 」 一、九百参拾九石九斗 ないぜん 一、千百四拾弐石弐斗五升 ものへ庄 一、五百拾壱石六斗七升 ちくさ 一…
御赦免・・・・御上意有之・・・仕候間、重ゝの・・・次右衛門儀御赦免拝・・・事愚母愚妹らも等之事を取り笑ひ、感涙抑へかたく喜ひ入候、此度之大恩父子共ゝ生涯不忘候、尚以て一層之御奉公忠勤ニ相勤候事御誓申上候、恐々謹言 大久保正助・・・周防様 ま…
昨年、次のような報道がされた。 digital.asahi.com mainichi.jp www.sankei.com www.nikkei.com そこで、この写真の部分だけ読んでみることにした。なお、某テレビ番組で紹介された部分も加えた。 一、今暁丑刻比ゟ当村下宿々ゟ会津様非番之諸隊俄ニ螺貝吹…
this.kiji.is 遠路被入御念 堺瓜木津瓜 送給候、祝著之 至候、猶斯念面 之時候、恐々謹言、 六月廿六日 家康(花押) 桒山法印 (書き下し文) 遠路御念をいれられ堺瓜・木津瓜送りたまい候、祝著の至り候、なおかく念、面の時候、恐々謹言 *桒山法印:桑山…
16文*6人=96文 ところで銭百文は銭96枚を紐で通したものである。したがって銭百文は実際には96文しかない。 つまり釣りはない。
大阪市制100周年記念「華」ー大阪城天守閣名品集図録79号文書、別冊解説文と写真から。 猶以、葛東郡壱万石、あほし半分 之事、御同名掃部(石川掃部頭頼 明)へ被仰付候間、可被得其意候、 以上、 其方御代官所之儀、前より被仕候分者、取沙汰不及是非候、…
西郷隆盛は郡方の役人だった。したがってそろばんとにらめっこする毎日を過ごしていたことであろう。 近世初期の寛永年間に刊行された「塵劫記」から例題をひとつ採り上げてみる。 http://mahoroba.lib.nara-wu.ac.jp/y05/html/380/s/p020.html 塵劫記 第十 …
一、御弓矢ノ手前、此分にて可有御落居候、并此判請之通何も下々本人衆へも具可被仰付候事、 右前書之旨無贔屓偏岐(頗)通、乍恐翻宝印、存分順路令存知異見申候、若私曲偽於申ニ者、此霊社上巻起請文御罰深厚可罷蒙者也、仍前書如件、 甲賀郡奉行十人 惣(…
最近博物館に行ってきた。古文書が展示されているので、ガラスケース越しだがひさびさに現物を目にした。 もちろん燻蒸されているので臭いはないし、和紙の手触りも感じ取ることはできない。背中がかゆくなることもない。しかし、墨の濃淡や運びは写真の比で…
こちらのつづきを読んでみる。 japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com □(一、)五段田へ取申候長福寺同宿の脇指、来廿日ゟ内ニ走舞を以而可返迄候、然者脇指取候者之内一人、当月廿五日ゟ被召失、来亥才二月廿五日ニ可被召返候事、 (書き下し文)…
新井堀の内遺跡で大量の埋蔵銭と「二百六十」「貫」(または「くわん」)と墨書された木簡が同時に発掘された。 260貫文=260,000文 これは正しい。しかし、出土した遺物には「繦」(ぜにさし)と呼ばれる紐のようなものも見られる。 www.kahoku.co.jp 1文銭…
安政元年二月二十七日(平出)安芸守様御病気御養生不施・・・叶(闕字)被遊大磯別荘ニ於テ御逝去早々篤君様へ可被達候、 二月二十七日 栗川孫吉篤君様 (書き下し文) 安政元年二月二十七日、安芸守様ご病気ご養生施こしかなわずあそばされ、大磯別荘にお…
まず篤姫の実の父親の訃報を伝える書状から。 嘉永7年が安政元年に改元されるのは11月27日。2月時点では嘉永7年。11月5日には南海地震が起きている。この翌年は江戸の安政地震が起きる ついで出世双六。 老女 一上り 三御次 「ついにない このはるハ おひめ…
日本中近世史上有名な文書群である菅浦文書が国宝に指定された。そのうちから、貞和2年9月の「ところおきふミの事」(所置文之事)を少々紹介したい。 www.chunichi.co.jp https://mainichi.jp/articles/20180310/ddl/k25/040/496000c 長浜市長浜歴史博物館…
前回の記事で読んだ裁許状中に見える天正元年の連署起請文を読んでみたい。『三重県史資料編近世1』120頁 慶長11年9月23日甲賀郡和田村・五反田村惣百姓中宛米津正勝・板倉勝重・大久保長安連署山論裁許状を読む - 日本史史料を読むブログ ニュースになって…
次のような記事が掲載された。 www.sankei.com https://mainichi.jp/articles/20180302/ddl/k24/040/201000c 上記記事の写真右下部分はおそらく、慶長11年9月23日甲賀郡和田村・五反田村惣百姓中宛米津正勝・板倉勝重・大久保長安連署山論裁許状と思われる。…
天正10年3月25日前田利家が検地を行った史料として以下の文書が紹介された。 合四拾九町九段六十九歩 惣高 此内 四拾町三段百十八歩 田方分 上中下御定 七町九反大九十九歩 畑方分 弐町六反九□ 壱段六十歩 屋敷分 壱町四段大卅三歩 田畠荒分 但四拾三町半九…
このようなTLが流れてきた。 特別陳列「西大寺文書の世界」岡山県立博物館、3/16~4/15〈西大寺(岡山市東区)に伝えられてきた貴重な古文書を中心に展示し、そこから見えてくる岡山の中世の歴史について紹介/同時開催「仏像〜平安から江戸時代まで(1)」…
先日、摂津国武庫郡鳴尾村と瓦林村の水問答の裁定に、前田玄以、増田長盛、長束正家が連署して立ち会った旨の文書を紹介した。 japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com その年には以下のような凄惨な光景が見られたという。ちなみに、日本史上もっと…
水問答について秀吉の重臣が連署して百姓に与えた折紙である。 摂州武庫郡鳴尾村北郷と申 升水之儀分而河原林と申分之事今度検使被遣双方令対談絵図仕来候上被遂糺明候処当郷申分無紛候間如有来鳴尾村料水仕可申自今以後不可有申事者也、 長束大蔵 八月廿五…