日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

補足 天正7年6月28日淡川市庭宛羽柴秀吉掟条々

前回読んだ「掟条々」について、補足しておきたい。 japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com 一、当市毎月五日、十日、十五日、廿日、廿五日、晦日之事、 一、らくいちたる上ハ、しやうはい座やくあるへからさる事、 第1条は、市の開催日を毎月定め…

天正7年6月28日淡川市庭宛羽柴秀吉掟条々

. 掟条々 淡川*1市庭*2 一、当市毎月五日、十日、十五日、廿日、廿五日、晦日之事、 一、らくいち*3たる上ハ、しやうはい*4座やく*5あるへからさる事、 一、くにしち*6ところしち*7[ ]之事、 一、けんくハ*8こうろん*9りひせんさく*10□(に)を□□(よハ)…

承応2年12月26日池田村三郎兵衛宛長田村新兵衛外永代売渡申女房之事

今井林太郎・八木哲浩『封建社会の農村構造』(有斐閣、1955年)収載史料に興味深いものを見つけたので読んでみたい(165頁)。 永代*1売渡申女房之事 与五郎女房 名はかくと申也、年は三十五歳也*2 並 むすめ 名はたねと申也、年は七歳也 右件の女は長田村…

天正7年6月27日亀井茲矩宛羽柴秀吉書状

尚以先日者何ニても見*1やけ可遣候処、いとまこいなく*2被帰候、如何之事候哉、 返〻郡はつれ*3の事、能〻あらためて、其方へおさめ可置之候、以上、 先度者為見舞上国*4苦労之至、令祝着候、仍其元郡はつれの知行之事、代官職申付候条、其方可有納所候、猶…

続天正6年9月23日伊藤吉次宛羽柴秀吉自筆切手

原文の写真が掲載されている『豊大閤真蹟集』から引用しておく。なお同書では「かゝ」を加賀=「かが」という者に渡すよう命じたと解説し、この「かが」を秀吉の奥向に仕える婦人であろうとする(同書「解説」30頁)。「かゝ」が「嬶」を意味するのか、同書…

天正6年9月23日伊藤与左衛門吉次宛羽柴秀吉自筆切手

拾弐石、かゝ*1かたへきやう*2のます*3にてわたしあるへく候、以上、 天正六年九月廿三日 秀吉(花押) い藤よ左*4 「一、177号、59頁」 (書き下し文) 十二石、嚊/嬶方へ京の升にて渡しあるべく候、以上、 (大意) 妻に京枡で十二石渡して下さい。以上。…

天正6年3月25日播磨国戸田宛羽柴秀吉禁制

禁制 戸田*1 一、軍勢甲乙人*2乱妨狼籍*3事、 一、伐採山林竹木事、付放火事、 一、田畠苅取事、 右条々堅令停止訖、若於令違背輩者速可処罪科者也、仍如件、 天正六年三月廿五日 筑前守(花押) (書き下し文) 禁制 戸田 ひとつ、軍勢、甲乙人乱妨狼藉のこ…

天正6年3月15日中島吉衞門尉外宛羽柴秀吉知行宛行状

於作州*1知行分之事 一、高野郷*2 参百貫文 一、林田*3広野*4地頭領家 合三百貫文 一、南方 弐百貫文 一、田中 百五拾貫文 一、新野 弐百貫文 右都合千百五拾貫文、為本地*5之上者、不可有相違候、但先判*6相除之、全可有知行候、弥可被抽忠節候事肝要也、仍…