日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

2024-01-01から1年間の記事一覧

天正17年11月24日徳川家康宛豊臣秀吉朱印状写

態差遣使者候、北条*1儀、可致出仕由御請申、沼田城*2請取之、一札之面*3氏直をハ不相立、信州真田*4持内なくるミの城*5乗捕之由、津田隼人正*6・冨田左近*7かたへ自其方之書状ニ相見候、然者北条表裏者之儀候間、来春早〻出馬、成敗之儀可申付候、早四国・…

秀吉は本当に人身売買を禁じようとしたか

こういった記事をしばしば見る。 toyokeizai.net たしかに秀吉は何度か人身売買を禁じる法令を発しているが、一方で唐入においては次のような指示を出してもいる。 態と申し入れ候、朝鮮人取り置かれ候うちに、縫官・手のきゝ候女、細工仕る者、進上あるべき…

天正17年11月21日真田昌幸宛豊臣秀吉朱印状

小西行長や加藤清正に肥後天草の武装蜂起に対して指示を出した同日、東国の真田氏にも国境相論に関する文書を発している。秀吉による「天下統一」事業がそれほど簡単に進まなかったことを示していて興味深い。そのこと自体中世的秩序がいかに在地に深く根ざ…

天正17年11月21日加藤清正宛豊臣秀吉朱印状

(包紙ウハ書) 「 加藤主計頭*1とのへ 」 書状被加御披見候、志岐城為成敗、小西*2相動二付、人数相添遣、自身*3又渡海之旨尤候、然而為後詰天草出候処ニ、其方於手前*4追崩*5、悉切捨之由手柄候、遠路首不及差上候、重而*6志岐・天草物主*7共申付次第、彼…

天正17年11月11日加藤清正宛豊臣秀吉朱印状写

小西摂津守*1志岐・天草*2之奴原*3令成敗二付、為加勢差遣佐々平左衛門*4之由尤候、自分*5相越、不残申付両島*6を、首可差上旨被仰出候、人数*7入*8候事候者、摂津守申次第、其方も同前可相勤*9候也、 十一月十一日*10 朱印 加藤主計頭殿へ*11 (四、2734号…

天正17年11月6日北郷時久宛豊臣秀吉朱印状写

就唐船*1相着、如目録*2到来、種〻取揃之段、別而悦思食候、猶石田木工頭*3可申候也、 十一月六日*4 (朱印影) 本郷一雲軒*5 (書き下し文) 唐船相着くについて、目録のごとく到来し、種〻取り揃えの段、べっして悦び思し食し候、なお石田木工頭申すべく候…

天正17年10月14日清水寺成就院宛豊臣秀吉朱印状

清水寺本堂銭箱*1五ヶ所之事、妻帯之僧共取之、育女子*2候仁付而、今度被成御改、何茂被為召上、当寺造営之為、永代被寄附訖、本願*3令執沙汰、修造*4可仕者也、 天正十七年 十月十四日*5(朱印) 清水寺 成就院*6 (四、2729号) (書き下し文) 清水寺本堂…