芳墨令披見候、誠長丸*1事令対面珍重候、先書二如申遣、一段利発ニ而、別而祝着候、家康二も不劣、公義*2を大切ニ可存心底相見候、尤ニ思召候、此侭可有在洛由ニ候へとも、右如上意*3候、自然人質之様ニ関東辺*4取沙汰候ハんハ、其方之為如何敷候間、早速被指下候、其段井伊侍従*5可相達候、御帰陣之刻被上*6候ハヽ、禁中昇進之儀も被仰出、以来者緩〻*7と可被為在京候、猶浅野弾正少弼*8可申候、畏覧*9、
正月廿八日*10 秀吉在判
駿河大納言殿*11
(四、2918号)(書き下し文)芳墨披見せしめ候、誠長丸のこと対面せしめ珍重に候、先書に申し遣わすごとく、一段利発にて、別して祝着に候、家康にも劣らず、公義を大切に存ずべき心底相見え候、もっともに思し召し候、このまま在洛あるべきよしにそうらえども、右上意のごとく候、自然人質のように関東あたり取り沙汰そうらわんば、その方のためいかがわしく候あいだ、早速指し下だされ候、その段井伊侍従相達すべく候、御帰陣のきざみ上られそうらわば、禁中昇進の儀も仰せ出だされ、以来はゆるゆると在京せらるべく候、なお浅野弾正少弼申すべく候、畏覧、(大意)お手紙拝見しました。秀忠と対面し実に結構なことでした。前回の手紙に書きましたとおり一段と利発で実にめでたいことです。家康に劣らず公儀を大切に思う心情も伺え、もっともなことと思いました。このまま在京させたいとの、そなたの希望もあることですが、秀吉の命のようにも見え、万一人質のように関東勢に取り沙汰されれば、そなたにとってもよろしくないので、早速下向させる旨井伊直政に伝えました。北条攻めからお戻りの際に上洛すれば、朝廷に官位昇進を薦めますし、以後はゆったりと京都に滞在されるといいでしょう。なお浅野長吉が詳細を申し述べます。敬具。
本文で言及されている「芳墨」や「先書」が具体的にどの文書を指すのかは未詳である。
本文書も家康に対する秀吉の厚遇ぶりがうかがえる文面である。
さて下線部の通り、上方にて秀吉と対面した秀忠の扱いについて、関東勢に「秀吉の命による人質」と取り沙汰されるのはなにかと困るだろうとの秀吉の「配慮」からいったん下向させ、改めて父子ともに上洛するよう薦めている。
小田原北条氏と戦端を開いたばかりのことで、家康とのあいだに何か政治的な「主従関係」のようなものがあると北条氏に取り沙汰されることが秀吉にとって不都合であったようだ。秀吉と家康の関係はそれほど微妙なバランスの上に成り立っていたと考えられる。