日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

2018-06-01から1ヶ月間の記事一覧

天正9年6月21日出野左衛門助・片山兵内宛明智光秀書状を読む

尚以、和久左息井上介*1・肥前入道*2取逃候、其山中*3 より外、別ニ可行方無之候、随分念を入、可被尋 出候、以上、 和久左衛門大夫*4城破却之儀、去年申付候処、号寺家を残置、任雅意*5之条、昨日加成敗*6候、近年逆意之催、不可有其隠候*7、就其、彼一類并…

慶長2年1月23日西山村名主・百姓・庄屋・侍中宛石田正継印判状を読む

法花寺西蔵対寺家、毎度緩怠*1之子細*2就在之、去年生害*3させ可遣候処、風をくらひ*4走*5候間、不及了簡*6候、然□□(者其)村へ切々*7立入由候末、其元於在之者搦捕可上候、自然於見隠*8聞隠*9者可為曲事候也、 慶長二年 正月廿三日 隠岐(石田正継*10印) …

朝ドラ「ごちそうさん」の登場人物命名についての違和感 再論

以前こういう記事を書いた。 japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com 以前の記事の具体例を偶然見つけたので、ふたたび論じることにする。 mainichi.jp 何の御役にも立つませず世を去りました 御主人様の御情けで私共親子三人何(ど)うに 厚く*1/…

天正9年4月18日瀬野右近・東沢加賀守宛明智光秀判物写を読む

別院*1倉米*2以去年分之内、米六石六斗、六十□(六カ)人、中村*3、七石一斗、七十一人、安瀬(栖)里村*4、合拾三石七斗之事、亀山*5普請分者、片山兵内*6百姓人別*7為廿日飯米、可被相渡候也、仍如件、 天正九年卯月十八日 光秀 瀬野右近殿*8 東沢加賀守殿…

西郷どん(24)「地の果てにて」 「西郷家万留(よろずどめ) 沖永良部遠島書付」を読む???

文書のタイトルが「西郷家万留」とあるように、竪冊にさまざまな文書を書き写したものであろう。綴じ穴があり、また折り目もあることから、冊子体であったことは明らかである。 しかし、この画像は一紙ものであるかのようで、撮影にあたって「特殊な交渉術」…

「本城惣右衛門覚書」のうち本能寺への行軍の部分を読む 2020年11月1日追記あり

(前略) 一、あけちむほんいたし、のぶながさまニはらめさせ申候時、ほんのふ寺へ我等ゟさきへはい入申候などゝいふ人候ハヽ、それハミなうそにて候ハん、と存候、其ゆへハ、のぶながさまニはらさせ申事ハ、ゆめともしり不申候、其折ふし、たいこさまびつち…

天正8年9月28日某宛明智光秀書状を読む

当国指出之儀、聊□□□□□□□□然者、百姓前入上使直ニ糺明之儀申付候条、為届啓達候、有無之儀、急度可有返答候、今明中者可相侍候、恐々謹言、 (天正八年) 惟任日向守 九月廿八日 光秀(花押) (宛所欠) 藤田ほか編『明智光秀』104号文書、101頁 (書き下し…

天正4年2月24日丹波国船井郡曽祢村惣中宛明智光秀判物を読む

今度従氷上表打入候刻、当村百姓別而馳走之段、懇志不浅候、依之諸役・万雑公事令免許畢、仍如件、 天正四 (光秀) 二月廿四日 (花押) 曽祢村 惣中 藤田ほか編『明智光秀』69号文書、77頁 *今度従氷上表打入:波多野秀治との合戦 *当村百姓別而馳走之段…

年未詳9月9日北畠具房宛足利義昭御内書を読む

www.sanyonews.jp mainichi.jp www.yomiuri.co.jp https://mainichi.jp/articles/20180620/ddl/k34/040/459000c 就入洛儀染筆候、此節相談藝州早速帰洛候様馳走頼入候、為其指越曽我常陸介、猶昭光可申候状如件、 九月九日 (義昭花押) 北畠中将殿 *藝州:…

天正7年8月24日丹波国氷上郡寺庵・高見山下町人中・在々所々名主・百姓中宛明智光秀判物を読む

(折紙) 今度、赤井五郎御成敗之儀被仰出、任(闕字)上意之旨申付候、仍在々所々不寄誰々、急度可還住者也、 天正七年 八月廿四日 光秀(花押) 氷上郡 寺庵中 高見山下町人中 所々名主中 所々百姓中 藤田ほか編「明智光秀」92号文書 *赤井五郎:赤井忠家…

天正7年2月18日宮田村矢代村鍛冶二名所宛明智光秀判物を読む

汝両人諸役令免許畢、於用所者直可申付者也、仍如件、 天正七年 (光秀) 二月十八日 (花押) 宮田村鍛冶 次郎太郎所 矢代村鍛冶 与五郎所 (藤田ほか編『明智光秀』87号文書、これまでと同様「判物」と判断した) (書き下し文) なんじ両人諸役免許せしめ…

慶長3年9月8日番田村安田村百姓中宛前田利家印判状写を読む

以上当村之儀如前々此方江被返付候条、年貢等急与可沙汰候、就者堺目事候間、諸役有間敷候、若何かと申族有之候ハヽ可注進候也、 慶長三年 九月八日(前田利家印) 番田村 安田村 百姓中 (加能越古文叢) (書き下し文) 当村の儀、前々のごとくこの方へ返…

元和7年2月徳川幕府、一季居奉公人の雇用を禁ず

条々 一、武士之面々、侍之儀者勿論不及申中間小者到迄、一季居一切不可拘置事、付一季居之請人立へからす、但堪忍次第ニハ不可苦事、 (書き下し文) ひとつ、武士の面々、侍の儀はもちろん申すに及ばず、中間・小者にいたるまで、一季居一切拘え置くべから…

慶長15年4月2日徳川幕府、一年季奉公人の雇用を禁ず

定 一、侍之事は不及沙汰、中間・小者に至迄、一季者を一切置へからさる事、 附、奉公望之者、一季と相定出すものハ可為曲事事、 (書き下し文) ひとつ、侍のことは沙汰に及ばず、中間・小者にいたるまで、一季者を一切置くべからざること、 つけたり、奉公…

「的を射る」か「的を得る」か プロフェッショナル仕事の流儀 飯間浩明

右の丁、うしろから2行目 ・・・た/\○安曰螽(いなご)の・・・ ・・・おとハ其的を得す・・・ (・・・の)音はそれ的を得ず・・・ 1603年刊行の「日葡辞書」は「Matouo iru」(マトヲイル)で「的に向かって発射する」意味とする。(「邦訳日葡辞書」389…

永禄12年4月14日賀茂庄中宛木下秀吉・明智光秀連署状を読む

藤田達生ほか『明智光秀』(31頁、3号文書) 猶以定納四百石宛ニ相定候也、以上、 城州賀茂庄之内、自先々落来候田畠、雖為少分、任御下知旨、賀茂売買之舛にて毎年四百石宛可運上、并軍役百人宛可有陣詰之由、得其意候、聊不可有如在事肝要候、恐々謹言、 …

天正6年1月29日伊藤民部丞外3名宛明智光秀書状写を読む

前回、前々回につづき滋賀高島郡境相論についての光秀書状を読んでみる。 japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com 藤田前掲書74号文書、79頁 鵜川開作之儀、同名中令奉行悉可作候、於無沙汰者、各越…

天正3年11月21日小松庄惣中宛明智光秀判物写を読む

前回に続き、小松庄宛の「判物写」(66号文書、75頁)を読む。前回と同様「書状写」とあるが「如件」の書き止め文言から「判物」とした。 japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com 当郡与高嶋郡境目事、如先規、限北小阪四十八体、従此方申付候条、庄…

天正3年10月2日近江国滋賀郡小松庄惣中宛明智光秀判物写を読む

藤田達生ほか編『明智光秀』74頁、64号文書、ただし前掲書では「書状写」とするが、書き止め文言から「判物写」と判断した。 当庄之内、鵜川年貢米高頭之儀ニ付、打下之百姓存分有之由候、然者為庄内彼田地、早々苅上如約束可納所、聊不可有油断、并伊藤民部…

天正3年12月2日百姓宛明智光秀徳政令写を読む

□□(無カ)質物借銭借米并金銀之事、 一、一年季田畠之事、 □(一)、□講并頼子之事、 一、はくち并諸勝負懸銭之事、 一、年貢古未進之事、 右、令棄破畢、若於違背之輩者、可処厳科、然而礼物之儀、一切不可有之并取次之者同前、所詮雖為聊、礼儀之取沙汰於…

年未詳8月23日某宛明智秀満書状を読む????

また新史料が発見された。 (補註 2018/06/05) 由良川では鮭が遡上する時期は新暦の10月下旬から11月上旬らしい。 丹後の海の生き物 サケ 旧暦の8月は新暦の8月下旬から10月上旬にあたる。ただ小氷期にあたれば、もう少し早めに遡上することもあるのかも知…

「役に立つ」 石田三成九ヶ条村掟を読む その1

日本の近世社会は「役」と身分が対応する関係にあったと言われている。軍役(参勤交代など)を勤める武士身分、百姓役(年貢や夫役など)を勤める百姓身分などである。 伊香郡内黒田町村*1掟条々 当郷家数九拾五間*2の内 一、六拾五間 後家・やもめ・寺・出…