日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

2024-08-01から1ヶ月間の記事一覧

天正17年12月28日徳川家康宛豊臣秀吉書状写

芳札*1披見候、誠今度者早〻依帰国、残多覚候*2、仍関東堺目無異義旨尤候、今少之間ニ候、弥無油断可被入精候、就其北条懇望之由*3、如書中何共申候へ、京都ハ御赦免之上不沙汰、不及言舌儀候、自然号御侘言書状等持参者候者、可被為生涯*4候、随而御出馬相…

天正17年12月5日加藤嘉明宛豊臣秀吉朱印状

(包紙ウハ書) 「 加藤左馬助とのへ*1 」 北条*2事、致表裏*3不届次第無是非候、然者来春*4被成御動座、可被加御誅伐候、御先勢従正月被相立候、其方儀人数六百召連、為船手*5自身可相動*6候、然者二月中至伊勢・志摩令着岸、舟共相揃、九鬼大隅守*7為案内…

天正17年12月5日加藤清正宛豊臣秀吉朱印状

志岐城*1落居之様子言上*2候、小西摂津守*3同前ニ相動*4砕手*5之由被聞召届候*6、無由断儀、尤ニ被思食候、次天草表儀、是又小西相談、無越度様可申付候、猶浅野弾正少弼*7可申候也、 十二月五日*8 (朱印) 加藤主計頭とのへ*9 (四、2830号) (書き下し文…

天正17年12月26日加藤正次宛三河国碧海郡河野郷年貢請負一札

本文書は郷村から家康家臣の加藤正次に差し出された請負一札の写で、雛形写も残されているという。ただ原本の所在は不明で、塚本学氏による筆写原稿のみが残されており*1、「(印)」とあることから控え(副本)を筆写したとも考えられる。 重要な点は発給人…

天正17年12月12日三河国渥美郡亀山村宛彦坂元正年貢割付状

天正17年の年貢割付状はきわめて貴重である。ただかなり煩雑になるので本文の大半を表にし、重要と思われる部分のみを引用した。本文書はもともと亀山区有文書という、共同体の構成員が全員で管理したり、区長が持ち回りで管理する共有財産*1だった。亀山に…

天正17年11月21日萩原昌之宛伊奈忠次知行書立(黒印状)

家康の七ヶ条定書を読むと、政策基調が秀吉とかなり異っていたことに気づかされる。そこで比較の意味も込めてしばらく家康や家康の代官頭らが発給した文書を読むことにする。 政策と社会構造がどのように対応するか一般論として述べることは難しいし、また安…