今回から天正16年発給文書に入る。発給文書227通の内訳は以下の通りである。
Table. 天正16年秀吉発給文書数
合 計 | 227通 | |
公家宛知行充行 | 29通 | 12.8% |
武家宛知行充行 | 33通 | 14.5% |
寺社宛知行充行 | 7通 | 3.1% |
知行充行小計 | 69通 | 30.4% |
自力救済の否定 | 29通 | 12.8% |
知行充行状が全体の3割強を占める一方、天正16年を特徴付けるのが海賊禁止令と刀狩令といった自力救済の否定を目的とする法令である。
発給日別で見てみよう。
Fig. 天正16年秀吉文書日別発給数
7月8日海賊禁止令と刀狩令が双方とも充所の記載のない形式で発せられた。充所に記載が見られないのは一斉発給したためであろう。旧大名家に多く残されているところから見て大名宛であって郷村宛でない。それぞれの本文中にも「自今以後、給人・領主由断致し、海賊の輩これあるにおいては、御成敗を加えられ、曲事の在所・知行以下末代召し上げらるべきこと」、「そのところの田畠不作せしめ、知行費えになり候あいだ、その国主・給人・代官として、右武具ことごとく取り集め進上致すべきこと」と領主または代官の義務として記されているところからもうかがえる。
百姓は秀吉にとって「飼い馴らすべき対象」であって、遵法精神を期待すべき存在ではなかったのである。