日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

明暦3年4月29日「免盛」定めにつき

 

これはある藩が「免盛」を定めるときの心構えを定めたものである。「盛る」とは「目盛」のようにあるものを測るときの基準のことで、「免」は年貢を意味する。つまり年貢率を定める手順(プロシージャー)を示した文書である。

 

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(書き下し文)

 

一、①免盛の時分は小百姓どもにも万事つぶさに申し聞かせ相談の上相究むべし、②惣百姓ども諸事少しにても費えこれなきように仕るべきこと

右の通り御意の旨御老(おとな)衆仰せ渡され候あいだ、この趣惣百姓どもにも申し付くべく候、③相背くにおいては曲事たるべきものなり

 

(大意)

 

一、①年貢率の基準を定めるときは小百姓たちにまですべて詳細に説明しよく相談の上決定すること。②惣百姓の負担になるようなことはないようしなさい。

 

右のとおりに藩主のご意思が「老衆」より仰せ渡されたところである。この趣旨を惣百姓にもよく言い聞かせなさい。③これに背く者がいれば処罰する。

 

 

本文書は明暦の大火(1657年)が江戸を焼き尽くしてから3ヶ月ほどのちにある藩で出された触である。

 

①、②より年貢率を定める際は百姓立合の上相談を遂げて決めよと藩主から沙汰が出されたことが読み取れる。

 

問題は③の「相背く」者とは誰かであるが、これは「免盛」を定める地方役人が「背いたら」という意味であろう。

 

これらより領主側が年貢率を一方的に定めるわけではないことがわかる。また「五公五民」のようにあらかじめ決まっているわけでもない。時代劇で百姓はお上の言われるがまま年貢を納めるように描かれるが、それはあくまでフィクションでのお話に過ぎない。