日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

2017-01-01から1年間の記事一覧

明智光秀必読論文!!! 桑原 三郎, 明智光秀の民政, 社会経済史学, 7 巻 (1937) 11 号

今から80年前の1937年、桑原三郎氏の論文が『社会経済史学』にておおやけにされた。 明智光秀の民政 桑原氏は検地や京都地子免許などのちに豊臣、徳川政権に継承された政策の嚆矢を光秀の政策に求めている。また荻生徂徠によって光秀の人物像が歪められたと…

新発見 (天正14年カ)7月26日堀尾吉晴書状を読んでみる???

堀尾吉晴の書状が発見されたそうだ。 www.sankei.com 天正14年カ7月26日堀尾吉晴書状 1.むかと在之者ゝ手前ニ 2.ヲいて相改め 3.御諚候条堅申付候、 4.万端御分別前御座候 5.様可得御意候、恐惶 6.謹言 堀尾帯刀 七月廿六日 (花押) (宛所見えず) (書き…

天正9年明智光秀の軍役規定

天正9年6月2日明智光秀は詳細な軍役を定めた(『新修亀岡市史資料編』第二巻、41~43頁)。 東京大学史料編纂所「大日本史料総合データベース」に『新修亀岡市史資料編第二巻』を加えて作成した光秀文書目録の一部が下の表。 軍役は100石につき6人を基準とし…

M先生に受けた薫陶

日本中世史のM先生が出された著書の売れ行きが好調だという。 先生の講義を受けたことはないが、ある調査合宿でお話をうかがう機会にめぐまれた。 その調査ののちの年末、反省会という名の飲み会が開かれ、スライドを見ていたとき突然先生が「あの子、バック…

「南蛮人」という言葉を当の南蛮人はどう理解していたか?

ふと気になったので、『邦訳日葡辞書』(原物は1603年刊行、邦訳版は1980年、岩波書店)で調べてみた。 Nanban.ナンバン(南蛮) (447頁) 南の地方 *1 例:Nanbangocu(南蛮国):南方の国 *2 *1 ボードレイ文庫本には「南の地方の野蛮人」との書き込み…

安政地震後の風刺画

幕末の安政の大地震では多くの被災者がでましたが、大工や鳶、左官などの建設業者にとっては仕事が増えて賃金が上昇するきっかけともなりました。こちらは地震を起こした鯰によって恩恵を被る人。服には大工道具の模様が。どこかで見た絵ですね…。来月1/5よ…

「バブリー!」 年末ジャンボ宝くじのCMに見る史料用語と歴史学概念の混同

本記事では下記のCMから、史料用語と歴史学概念の混同の問題について考えてみたい。 youtu.be 当記事ではその時代に使われていた言葉を「史料用語」(正確には史料上に見える用語というべきだが、煩雑なので史料用語とした)、のちにその時代を理解する鍵と…

本能寺の変から1ヶ月 天正10年7月 秀吉と家康の行動

本能寺の変から1ヶ月後の天正10年7月、豊臣秀吉と徳川家康は何をしていたのか、まとめたのがこちら。 7月8日、秀吉は山城国三郡の、丹羽長秀は近江国滋賀郡の指出=検地を行っている。 一方家康は甲斐国へ攻め入っている。 史料1 秀吉 猶々、指出之儀出來次…

「おんな城主 直虎」最終回に登場する文書を読んでみる

史料1 天正3年5月20日山上六左衛門外宛織田信長黒印状 為褒美茶碗一 天目差下候也、 天正(三年)五月二十日 信長(黒印) 山上六左衛門殿 ??越後守殿 (書き下し文) 褒美として茶碗ひとつ天目差し下し候なり 史料2 天正14年月日未詳徳川家康宛某言上状 …

アシガール最終回 唯の手習い

アシガール最終回にて、手習いの場面が登場した。 お手本は「古今和歌集巻第一春歌上」の冒頭で、写本により漢字や変体仮名が異なる。その一例としてこちら。 古今和歌集 文化遺産オンライン https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E5%92%8C%E6%…

「おんな城主直虎」最終回に備えて 天正10年の出来事を総ざらい

前回東京大学史料編纂所のデータベースを利用した例を紹介した。 これに倣って、「おんな城主直虎」最終回の舞台となる天正10年を振り返ると同時に、「井伊谷」でヒットした史料の目録を作成した。 docs.google.com

天正14年の出来事 東京大学史料編纂所データベースの一活用例

たとえば「天正14年」の出来事を一覧できるようにしてみたのが、こちら。 西暦年月日='1586年' 天正14年.xlsx - Google ドライブ コピー・アンド・ペーストで簡単に詳細な年表を作成できるので便利。

浅田金兵衛について

前回「浅田家文書」とのみ記した。 japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com 発給人、請取人は文書(もんじょ)を構成する4要素のうち半分を占めるのでこれに触れないと正確な解釈には遠く及ばない。 ところでこの文書群を分析した論文がすでに公にさ…

元禄15年12月16日浅田金兵衛宛浅田孫之進充清書状(浅田家文書)を読んでみる

先日BS放送で紹介された吉良邸討ち入り直後にしたためられた書状をここで読んでみたい。 (前略) 且又此十四ゟ之夜七ツ時吉良上野介殿屋鋪本庄ニ御座候、此所江浅野内匠頭殿御家来都合四十七人主人之敵討ニ表并裏両方ゟはしこ掛、内へ入、首尾能上野介殿打…

「歴史秘話ヒストリア」に覚えた違和感の正体

前回12月8日放送の「歴史秘話ヒストリア」に違和感を覚えたと記した。 japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com その正体は、史料中アイヌ人を指す言葉がスルーされたことだ。 翻刻はもちろん、原文書のその部分もなるべく画面に映らないよう配慮され…

2017年12月8日放送NHK「歴史秘話ヒストリア」に覚えた違和感

12月8日放送のNHK「歴史秘話ヒストリア」を偶然見たが、大きな違和感を覚えた。以下の画像をご覧いただきたい。 Fig.1 十二月 一、門松迎候××江・・・ 清酒壱升 莨壱把 朱壱升 右ハ会所・・・ (書き下し文) 十二月 ひとつ、門松迎え候××へ・・・ 清酒壱升 …

嘉永5年12月25日吹井村百姓与右衛門宛武市半平太永代譲渡證文

また文書が見つかったそうだ。 www3.nhk.or.jp mainichi.jp 永代譲渡證文 (ひとつ書き省略) 右者此度考之筋ヲ以貴様へ永代ニ譲渡代銭右之通慥ニ受取申処相違無之候、仍右支配之庄屋遣、各々奥書判形受證文相渡忝可申上ハ御後御後毛頭違乱之筋無之候、仍而…

江戸時代?桃山時代?慶長年間で解決!!

こういう西日本新聞の記事を目にした。 「これ『江戸時代』じゃなくて『桃山時代』じゃない?」「発表資料には『江戸時代』としているけど…」 - 西日本新聞 「某展覧会」とはおそらく九州国立博物館の「新・桃山展」と思われる。 この「同僚とのやりとり」の…

2017年12月5日放送「開運!なんでも鑑定団 800年続く旧家に眠っていた古文書に衝撃値!」での気になる一言

時々とんでもないものが鑑定に出されることがあるので、早送りで古文書が映るところだけを見ることがある。くだんの「伊勢物語」の依頼者が重要なことを吐露していたのだが、誰もその歴史的重要性に気づかなかったようだ。もちろん思文閣の代表取締役は聞き…

「鬱憤」を晴らすために合戦を行う織田信長

先日、長篠合戦の史料を紹介した際、「散鬱憤」という信長の文言を紹介した。池上裕子氏の指摘も気になるのでいつもお世話になっている東京大学史料編纂所の「古文書フルテキストデータベース」の「本文」にのみチェックを入れ「鬱憤」で検索してみた。 する…

考えるな!覚えろ!! 歴史教科書掲載用語軽減への反応に通底するもの

1994年高等学校社会科で世界史が必修化された。その事情はたしか以下のような話だったと思う。 「最近西洋史の講義でナポレオンの話をすると酒のことだと勘違いする学生が多くて困る」この発言の主はドイツ近現代史の大物でその後国会議員に選ばれ、数年後か…

アシガール第9話に登場する古文書の話 その3 「阿湖」姫によせて

件の古文書だが、気になる点はまだある。「阿湖」姫の部分だ。女性の名前はことさら難しい。たとえば秀吉の正室は「おね」なのか「ねね」なのかいまだ定まらない。高台院と呼べばよいというわけでもない。権力トップの正室さえ呼称がわからないのだから、戦…

自然のことにて候 「おんな城主 直虎」第48回

「自然」は古文書頻出用語であるが、近世前期と中後期では意味はまったく異なる。中後期では「当然~なる」という意味合いだが、戦国期から近世前期は「万一」という意味で使われる。 したがって「自然のことにて候」とは「万一のことでございます」というこ…

イチ推し古文書本の紹介

先日小島道裕氏の『読めなくても大丈夫!中世の古文書入門』(2016年、河出書房新社)を拝読した。 「読めなくても大丈夫!」の謳い文句に嘘はなかった。カラー版で、文書を部分に分け、丁寧な説明がなされていて、文書(もんじょ)が(1)本文(2)日付(3…

アシガール第9話に登場する古文書の話 その2

前回に続き、アシガール第9話の話をしてみたい。 ところで正名僕蔵演じる高校教員が、遺構から発掘された唯の写真を持ち歩いていたが、これは完全に窃盗である。名探偵ポアロも時々発掘現場におもむいては出土品をポケットにこっそり忍ばせることがあるが、…

アシガール第9話に出てくる古文書の日付

アシガール第9話では「永禄3年3月19日」付の書状が登場する。永禄3年といえばおそらく多くの人は桶狭間合戦を思い出すに違いない。自分もこの場面を見たとき、恥ずかしながらそれしか思い浮かばなかった。 試しに永禄3年の出来事を東京大学史料編纂所の「大…

「ざんきにたえない」と「慚愧に堪えない」の違い

ニュースを見ていたら字幕に「ざんきにたえない」と出た。「慚愧に堪えない」とどう異なるのだろうか。 「慚」の訓読みは「はじる」であり、「愧」も同様に「はじる、はずかしめ」と読む。 「慚愧」の意味は日本国語大辞典によれば「恥じ入ること」と「悪口…

天正年間 井伊萬千代は家康から2万石を宛行われたか

「おんな城主直虎」47回にて井伊萬千代は2万石を宛行われたとされた。 しかし、同時期の家康発給の宛行状を見ると石高記載は見られない。中村孝也『徳川家康文書の研究 上巻』267頁(1958年、日本学術振興会)から引用してみよう。 ところで、このブログの目…

生け捕りを信長はどうしたか 天正3年8月22日村井貞勝宛印判状写を読む

以前長篠合戦において生け捕りにされた者は人身売買の対象になる可能性が高いと述べたが、どうもそうではなかったようだ。別の合戦の史料であるが京都所司代村井貞勝宛に以下のように書き送っている。 廿日書状、今日廿二、至府中到来、披見候、 一、此表之…

西本願寺幕末新史料の発見 その1

インターネットのおかげで新史料発見のニュースが迅速にかつ詳しく入手できるようになった。とくに地方紙や地方版は大きく写真入りで取り上げてくれるので部分だけだが、どのようなことが書かれているのか、字体に少々違和感はないかなどの貴重な情報が満載…