2017-11-01から1ヶ月間の記事一覧
アシガール第9話では「永禄3年3月19日」付の書状が登場する。永禄3年といえばおそらく多くの人は桶狭間合戦を思い出すに違いない。自分もこの場面を見たとき、恥ずかしながらそれしか思い浮かばなかった。 試しに永禄3年の出来事を東京大学史料編纂所の「大…
ニュースを見ていたら字幕に「ざんきにたえない」と出た。「慚愧に堪えない」とどう異なるのだろうか。 「慚」の訓読みは「はじる」であり、「愧」も同様に「はじる、はずかしめ」と読む。 「慚愧」の意味は日本国語大辞典によれば「恥じ入ること」と「悪口…
「おんな城主直虎」47回にて井伊萬千代は2万石を宛行われたとされた。 しかし、同時期の家康発給の宛行状を見ると石高記載は見られない。中村孝也『徳川家康文書の研究 上巻』267頁(1958年、日本学術振興会)から引用してみよう。 ところで、このブログの目…
以前長篠合戦において生け捕りにされた者は人身売買の対象になる可能性が高いと述べたが、どうもそうではなかったようだ。別の合戦の史料であるが京都所司代村井貞勝宛に以下のように書き送っている。 廿日書状、今日廿二、至府中到来、披見候、 一、此表之…
インターネットのおかげで新史料発見のニュースが迅速にかつ詳しく入手できるようになった。とくに地方紙や地方版は大きく写真入りで取り上げてくれるので部分だけだが、どのようなことが書かれているのか、字体に少々違和感はないかなどの貴重な情報が満載…
1980年代、村落史研究で著名な中村吉治氏のインタビューがある雑誌に掲載された。そこで自身が卒論のテーマについて相談した時の話が披露された。 彼はのちに土一揆や農政関係の著書を刊行することになるのだが、そのテーマとして農民について書きたいと指導…
20年前の1997年、香港への旅行がブームになった。イギリスから中国へ返還されるため、イギリス統治時代最後の姿を見届けたいという事情による。 さてわたしも例に漏れず、行ってみた。当時は着陸直前大きく右へ旋回するというもっとも着陸の難しい空港のひと…
日本史を勉強する上で元号は避けて通ることはできない。ただ読み方が必ずしも一様ではないことは知っておいた方がよいと思う。 戦国期の「天文」は「てんもん」派と「てんぶん」派に分かれる。日本語入力で右に出るものはいないJ社のソフトAでは「てんぶん」…
肝心なことを忘れていたが、「京都并江・越儀ニ付而」の「京都」とはもちろん足利義昭のことである。
japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com 一カ所訂正したい。 「京都并江・越儀ニ付而、手前取紛候刻、信玄入道構表裏、忘旧恩恣之働候ける」の「江・越儀」とは浅井長政(近江)と浅倉義景(越前)が反信長に動き、それに乗じて信玄が織田との和議を…
前回に続き長篠合戦直後に発給された信長の文書を読む。 (五一二)天正3年5月26日長岡藤孝宛織田信長黒印状 去廿一日合戦之儀ニ付而、被申越候、如相聞候、即時切崩、数万人討果候、四郎首未見之候、大要切捨河へ漂候武者若干之条、其内ニ可有之歟、何篇、…
「おんな城主直虎」に出てきた武田勝頼から築山殿に宛てた文書を読んでみよう。 (包紙ウハ書) 「築やま 殿 かつ頼 まゐる 」 (中略) いたすへく候、宜しくなか・・・ されへく候、かへす(くの字点)御物入・・・ 候あひた、御ひ見のうへ干火中・・・ 入…
長篠合戦については近年発掘調査なども行われ、見直しがされるようになった。そこでここで信長自身がこの合戦をどのように語っていたか、発給文書から読んでみたい。 秀吉が本能寺での出来事を知った直後、諸将に「信長は脱出して無事である」というニセの情…
『愛知県史資料編11織豊1』に徳川信康(松平信康)書状写が掲載されているので今回はこれを読んでみる。同県史によればこの文書は要検討であるものの信康発給文書がこの一通のみなので掲載するとある(840頁)。 一六一三 徳川信康書状写 満性寺文書 以一札…
松平(徳川)信康発給文書は、東京大学史料編纂所「日本古文書ユニオンカタログ」データベースおよび「大日本史料総合データベース」によれば写のみ2点残されている。そのうち、天正6年と推定されている11月12日付のものを読みたい。 覚 一、東者調へ道際境…
前回、「一昨日如被仰出候、斗代等之儀、任御朱印之旨:8月10日『奥州会津御検地条々』写(一柳文書)の趣旨」としてお茶を濁した史料を読む。 秀吉の検地に懸ける意気込み 「一郷も二郷も撫で切りにせよ」 その2/止 - 日本史史料を読むブログ 一次ソースま…
話題になっている手配書を読んでみる。画像はこちらから。 http://pbs.twimg.com/media/DMpz85UUQAASRB2.jpg:small 手配書 梅谷村足軽唯之助 (似顔絵) 右者高山方と内通之疑有之候故、取締 方目下探索ニ及候也、見附候者ハ即刻 届可申事、應分之褒美被取候…
今回は有名な天正18年8月12日浅野長政宛豊臣秀吉朱印状を読む。 尚以、此趣其口へ相動衆、不残念を入可申届候、返事同前ニ可申上候也、 態被仰遣候、 一、去九月至干会津、被移御座、御置目等被仰付、其上検地之儀、会津者中納言、白川同其近辺之儀者、備前…