日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

2020-11-01から1ヶ月間の記事一覧

天正13年10月6日施薬院全宗宛豊臣秀吉朱印状(下)

今回いよいよ本文書を理解する上で重要なカギとなる「御理」について考察する。 問題の箇所は以下の通りである。 御室戸*1大鳳寺*2事、雖可被成御検地*3、御理*4申上条相除者也、 (書き下し文) 御室戸・大鳳寺のこと、御検地なさるべくといえども、おこと…

天正13年10月6日施薬院全宗宛豊臣秀吉朱印状(中)

前回の文書を再掲してみる。 御室戸*1大鳳寺*2事、雖可被成御検地*3、①御理*4申上条相除者也、然者②自前〻百石、今度百石、都合弐百石分、毎年無水干損可納所旨、可申付者也、若於無沙汰者、惣郷可被加御成敗者也、 天正十三 十月六日(朱印) 施薬院*5 『秀…

天正13年10月6日施薬院全宗宛豊臣秀吉朱印状(上)

御室戸*1大鳳寺*2事、雖可被成御検地*3、①御理*4申上条相除*5者也、然者②自前〻百石、今度百石、都合弐百石分、毎年無水干損*6可納所旨、可申付者也、若於無沙汰*7者、惣郷可被加御成敗*8者也、 天正十三 十月六日(朱印) 施薬院*9 『秀吉文書集二』1644号…

天正13年10月2日島津義久宛豊臣秀吉判物

(包紙ウハ書) 「 島津修理大夫殿*1 」 (端裏) 「(墨引)」 就(闕字)勅諚*2染筆候、仍関東不残奥州迄被任(闕字)倫*3命、天下静謐処、九州事于今鉾楯*4儀、不可然候条、国郡境目相論、互存分*5之儀被聞召届、追而可被(闕字)仰出候、先敵味方共双方…

天正13年9月18日吉川元長宛豊臣秀吉朱印状

態申遣候、薄*1と云公家諸国牛ニ役銭を相懸候而執之由候、秀吉聊も不知事候、定而可為謀判*2候、言語道断曲事候、其国在々所々にて馳走仁*3可有之条、糺明候て、右役銭取候者有之者、公家にても門跡*4にても何者成共、悉召搦候て可被相越候、無油断尋捜候て…

天正13年9月10日一柳直末宛豊臣秀吉朱印状写

この前日秀吉は「藤原朝臣」(フジワラノアソン)から「豊臣朝臣」(トヨトミノアソン)に改姓している*1。正確には「豊臣」は「氏姓」であり、「名字」は変わらず「羽柴」なので「羽柴秀吉」と呼ぶべきか、「豊臣秀吉」に改めるべきか議論のわかれるところ…

天正13年9月2日中川秀政宛羽柴秀吉朱印状

尚以①帳面ハ此方へ上帳候*1間、郡〻在所案内者*2可相越候、以上、 態申遣候、②豊島*3・太田*4両郡ニ給人相付候、然者郡〻在所付引可渡候之条*5、両郡之案内者早〻可相越候、無由断継夜日可差越候也、 九月二日*6(朱印) 中川藤兵衛とのへ*7 『秀吉文書集二…

天正13年閏8月18日小早川隆景宛羽柴秀吉朱印状

黒田基樹『羽柴を名乗った人々』(角川選書、2016年)26頁の「小早川隆景」にさりげなく「たかしげ」と振ってあるのを見て、遅まきながら「たかかげ」でないことを知った記念に、その隆景にあてた秀吉朱印状を読んでみたい。 (端裏) 「(墨引)」*1 去月*2…