日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正16年6月21日木食応其・寺沢広政宛豊臣秀吉朱印状

大仏殿*1大工*2并杣*3大鋸*4事、和州・紀州・江州・伊州・丹州五ヶ国*5、能〻相改可召仕候、殊其身者不能出、下手*6大工を為代出之輩可為曲事候、若無沙汰族*7於在之者、為身懲*8候条、堅可被仰付候、然者給人*9夫役*10事、最前如被仰出候*11、諸役*12有之間…

天正16年6月16日島津義久宛豊臣秀吉朱印状

しつくいぬり*1候者、唐人*2・日本仁*3共当国*4ニ在之由候間、早〻申付可差上候、不可有由断候、猶浅野弾正少弼*5・増田右衛門尉*6可申候也、 六月十六日*7(朱印) 島津修理大夫とのへ*8 (三、2527号。下線部は引用者) (書き下し文) 漆喰塗り候者、唐人…

天正16年6月15日上杉景勝宛豊臣秀吉領知充行状

(包紙ウハ書) 「 越後宰相殿*1 」 為在京賄料*2、於江州蒲生・野洲・高島三郡*3内壱万石<目録別紙*4有之>事、被宛行之訖、全可有領知之状如件、 天正十六 六月十五日(花押) 越後宰相とのへ (三、2525号。<>内は割註) (書き下し文) 在京賄料とし…

天正16年閏5月15日加藤清正宛豊臣秀吉領知方目録

肥後国領知方目録事 一、四万参千八百八拾五石 玉名郡内 一、壱万弐千百七拾六石六斗 山鹿郡 (中略) 合拾九万四千九百拾六石 此内 千石 此内五百石今度御加増 小代伊勢守*1 参千石 此内千石今度御加増 同下総守*2 壱万六千石 国侍ニ被下分、重而御朱印次第…

明治12年(1879)1月1日現在府県郡区別人口 内務省戸籍局による

明治12年1月1日現在の府県、郡区別人口構成は以下の通りである。人口最高を誇るのは石川県の185万人あまりで、東京府の倍近い。また沖縄県では女性人口比率が高い docs.google.com

明治12年(1879)郡区編成による府県庁および郡区役所所在地

明治11年7月22日に発せられた太政官布告17号は「郡区町村編制法」を自称している。基本的な史料なので全文を掲げておく。 郡区町村編制法(明治11年7月22日太政官布告17号) 郡区町村編制法、左の通り定められ候条、この旨布告候こと 第一条 地方を画して府…

明治5年1月「府県管轄便覧」による府県-国郡対照表

明治5年1月の府県郡と国郡の対照表を作成した。 docs.google.com かなり特殊な例として「置賜県」が挙げられる。現在の山形県米沢市周辺であるが、「羽前国置賜郡の内」のみでひとつの県を形成するというのは置賜県のみである。おそらくは上杉領がそのまま引…

【改訂版】慶応1年「慶応元年武鑑」に見える大名一覧

docs.google.com

明治2年版籍奉還にともなう藩知事任命一覧

版籍奉還によりそれまでの大名は「藩知事」に任命された。各藩知事は以下の通りである。 docs.google.com 興味を引く点を挙げてみよう。 第一に9の「長州藩」としてよく知られる「周防山口」の毛利宰相家である。ただ長州、つまり長門ではなく周防と認識され…

府県別諸侯分布

前回明治9年現在の府県別諸侯一覧を掲載した。ただ、小大名は紙幅の都合から割愛したため大まかな傾向を示すにとどまらざるを得なかった。今回はこれをすべて府県別に分類し、さらには大名数の多い順に府県をソーティングしてみた。 docs.google.com すると…

明治9年9月3府35県(ほかに開拓使と琉球藩)と慶応4年2月11日300諸侯の対照表

明治以降の府県制はよくいえば試行錯誤の連続、有り体にいえばその場しのぎで(姑息で)弥縫的な側面が強く、また戸口や石高も旧大名による申告が多かったようだ。データベースに入力していると弥縫的と強く感じる。とりわけ入力する際には何を選び取り、何…

慶応4年2月11日明治新政府による300諸侯一覧

慶応4年2月11日(太陰太陽暦)明治新政府は約300名を「諸侯」に任じた。このうち40万石以上の者を「大藩」*1としたが、徳川宗家16代徳川家達も駿河静岡藩主としてその一角を占める。こうした少数の者による支配体制をオリガーキー(oligarchy)、それら少数…

天正16年閏5月15日加藤清正宛豊臣秀吉領地充行状

於肥後国領知方、都合拾九万四千九百拾六石、目録<別紙在之>事、被宛行之訖、但此内弐万石国侍*1ニ可被下之条、御朱印次第*2相渡、則其方可致合宿*3、其外見宛*4全可令領知候也、 天正十六 後五月十五日*5(朱印) 加藤主計頭とのへ*6 (三、2514号。<>…

天正16年閏5月15日加藤清正宛豊臣秀吉朱印状

(包紙ウハ書) 「 加藤主計頭とのへ*1 」 其方事、万精を入、御用*2ニも可罷立与被(闕字)思食付而、於肥後国領知方一廉*3被作拝領*4、隈本*5在城儀被(闕字)仰付候条、相守御法度*6旨、諸事可申付*7候、於令油断者可為曲事候、就其陸奥守*8事、以一書*9…

天正16年閏5月15日大矢野種基宛豊臣秀吉朱印状写

肥後国天草郡内千七百五十*1之事、此度以御恩*2地之上、為被宛行之訖、全令領知、小西摂津守*3于致合宿*4、可抽忠節候也、 天正十六 後五月十五日 御朱印 大矢野民部大輔とのへ*5 (三、2512号) (書き下し文) 肥後国天草郡のうち千七百五十石のこと、この…

【改訂版】明治5年大蔵省編纂『改置府県概表』に見える3府298県から3府71県への再編成

明治5年8月大蔵省により編纂された『改置府県概表』を一覧表にした。なお、もともとの持ち主が朱で追記をしているのを「備考欄」にできるだけ反映させ、より新しい府県も確認できるよう努めた。 改定箇所 2022年7月15日 「ひとつのセルにひとつの情報」とい…

天正16年閏5月14日小早川隆景宛豊臣秀吉朱印状(6/止)

一、むつのかみ*1、肥後ニ有之者共曲事ニあらす候間*2、其ぶん/\二*3知行可被下候条、くまもとに堪忍可仕事*4、 天正十六年 後五月十四日*5 (朱印) 小早川左衛門佐とのへ*6 (三、2506号。なお読点の位置を文書集と一部替えた) (書き下し文) 一、陸奥…

天正16年閏5月14日小早川隆景宛豊臣秀吉朱印状(5)

右之曲事条〻雖有之、其儀をかゑり見させられす、肥後国被仰付候に、月を一ヶ月共不相立、国ニ乱をいてかし*1候儀、(闕字)殿下迄被失御面目候間、御糺明なしにも、むつのかミ*2腹をきらせらるへきと被思召候へ共、人の申成も有之かと被思召、浅野弾正*3・…

天正16年閏5月14日小早川隆景宛豊臣秀吉朱印状(4)

一、御開陣之刻、国人*1くまもとの城主*2・宇土城主*3・小代之城主*4かうべをゆるさせられ*5、堪忍分を被下、城主女子共ニ大坂へ被召連*6、国ニやまい*7のなき様ニ被仰付、其外残の国人之儀、人質をめし被置*8、女子共陸奥守有之在くまもと*9ニ被仰付候処、…

天正16年閏5月14日小早川隆景宛豊臣秀吉朱印状(3)

一、つくし*1御成敗、天正十五年、殿下被出(闕字)御馬、一へん*2ニ被仰付候刻、むつのかみ信長御時、武者の覚*3かいりき*4かましきと人の申成、殿下にも見およはせられ*5、つくしの内、肥後国よき国ニ候間、一国被仰付、兵粮・鉄炮の玉薬以下迄城〻へいれ…

天正16年閏5月14日小早川隆景宛豊臣秀吉朱印状(2)

一、天正十三*1年に信雄*2尾張国ニ有之、不相届刻、彼むつのかみ又候哉*3、人質を相捨、別儀をいたし、加賀国はしへ令乱入、城〻をこしらへ候間、則被出御馬、は城*4うちはたさせられ、越中陸奥守居城と山の城とりまかさせられ候之処、又候哉むつのかみあた…

天正16年閏5月14日小早川隆景宛豊臣秀吉朱印状(1)

秀吉は、信長横死のさい多数派工作のため、天正10年6月5日づけで「京より罷り下り候者たしかに申し候、(闕字)上様*1ならび殿様*2いずれも御別儀なく、御切り抜けなされ候、膳所が崎*3へ御退きなされ候」*4と中川清秀にあてて虚偽の情報を意図的に流した*5…

天正16年閏5月6日北里政義ほか1名宛加藤清正下知状(4/止)

⑦一、在〻質人*1出置替之時*2礼儀に立寄候者*3、上使ハ不及申ニ百性まて為可曲事、付りふしん*4道具・薪等申付之時ハ、人夫数ハ百石二付而二人ツヽ隈本へ持せ可越候、右条〻相背者候者可令成敗者也、仍下知如件*5、 天正拾六年後*6五月六日 加藤主計頭(花押…

天正16年閏5月6日北里政義ほか1名宛加藤清正下知状(3)

⑤一、従此方*1仰之儀*2に申付候上使にて候共、非分之儀申懸候ハヽ、其上使と*3申事すへからす候、外之儀*4ニ而候共以目安可直訴候、遂糺明を堅可申付事、 ⑥一、麦年貢定物成*5之義、我〻直ニ*6相定書付を在〻肝煎に相渡候外ハ、少も不可有別儀候、付り隈本へ…

天正16年閏5月6日北里政義ほか1名宛加藤清正下知状(2)

③一、国中麦年貢*1之儀、御検地*2之上を以三分二召置*3、三分一ハ百姓ニ可遣之旨被仰出候*4、雖然諸百性迷惑*5之躰見及候条在之、其立毛*6之上ニて百性共堪忍続候様*7可申付事、 ④一、在〻出置候上使*8之者、対百性ニ非分之儀於申懸者、以目安可直訴事、付り…

天正16年閏5月6日北里政義ほか1名宛加藤清正下知状(1)

清正は、5月25日付の朱印状の11日後、つまり当時の交通・通信事情からいえば「ただちに」本文書を発給している。しかも朱印状をそのままなぞっているのではなく、現地の状況に即し清正なりに咀嚼している点でも興味深い。なお本文書名を「下知状」と呼ぶのは…

天正16年5月25日加藤清正宛豊臣秀吉朱印状

書状披見候、妻子召連早〻令下着*1旨、尤被思食候*2、依之家来*3之者・百姓以下迄致安堵、荒地*4相返*5致開作*6由可然候、猶以守御法度*7旨、諸事可申付候、委細長束*8可申候也、 五月廿五日*9 (朱印)* 加藤主計頭とのへ (三、2497号) (書き下し文) 書…

天正16年5月11日福島正則宛豊臣秀吉朱印状写

去十六日之書状加披見候、其国*1検地大形*2相済候由、然ハ宇土境*3之在所*4二三ヶ村令一揆付而、討果候旨聞召*5候、惣而徒者*6之儀於有之者、悉成敗可申付候、頓*7隙明次第可罷上候也、 五月十一日*8 御朱印 福島左衛門大夫とのへ*9 (三、2494号) (書き下…

天正16年5月18日充所欠戸田勝隆・浅野長吉連署判物写「定」

鍋島直茂が長崎の太閤蔵入地代官に任じられたことについて以前触れた。豊臣政権が当該地方の百姓たちをいかに支配しようとしたかを述べた史料を今回見ておきたい。 japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com 定 一、当所御料所*1ニ被仰付候上ハ、非分…

天正16年5月2日浅野長吉ほか7名宛豊臣秀吉朱印状

其国*1悪逆人□見計*2、成敗可申付旨、最前被仰含候処、得御諚*3之段、ぬるき*4申上事候、忠節之者*5共*6ハ立置て*7、悪逆人一類妻子共ニ*8悉令成敗、くさり*9候共塩付□候て*10、首差上可申候、あはれミ*11在之安国寺*12同前ニ、何事申上候哉、従其方書立*13…