日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正17年9月17日三河国幡豆郡貝吹郷宛徳川家康七ヶ条定書(上)

天正17年7月から徳川家康は写真のように統一された様式による7ヶ条の定書を郷村宛に発している。現在確認されてるだけでも240通を超えており、統一された様式をもち、直接郷村宛に発したという点において秀吉の在地掌握をある意味上回るものであったといえる…

天正17年12月4日吉川広家宛豊臣秀吉朱印状

北条儀為誅伐、来春*1至于関東被成御進発条、其方事人数*2五百召連、二月中旬有上洛、尾州星崎城*3請取、自身可被在番候、委曲輝元*4・隆景*5江相達候*6、猶浅野弾正少弼*7・黒田勘解由*8可申候也、 極月*9四日*10 (朱印) 吉川侍従とのへ*11 (四、2828号…

天正17年12月1日上賀茂社家中宛豊臣秀吉朱印状

当社家境内地子以下令免除訖*1、永不可有相違*2者也、 天正十七 十二月朔日*3 (朱印) 上賀茂 社家中 (四、2784号) (書き下し文) 当社家境内地子以下免除せしめおわんぬ、永く相違あるべからざるものなり、 (大意) 当社家境内地子以下免除せしめおわ…

人身売買、娘の身売りを「囚人のジレンマ」モデルで表してみた

はじめにお断りしますが見よう見まねでつくってみた叩き台に過ぎませんので、誤解などございましたらご指摘いただけますとさいわいです。 また「囚人のジレンマ」で表現することを目的としますので「ナッシュ均衡解」などを求めようなど大それた野心を抱いて…

天正17年11月28日梶原政景宛豊臣秀吉朱印状

今度北条事、致表裏、不恐天命、不顧恥辱、無道之仕立*1、無是非題目*2候、然者来春*3早〻被出御馬、可被加御誅伐之条、可成其意候、氏直不届次第被書顕、対北条被成御朱印候*4、其写為覚悟被遣之候、於彼面諸事可被仰付候、猶天徳寺*5・石田治部少輔*6可申…

天正17年11月24日北条氏直宛豊臣秀吉朱印状(最後通牒)2/止

(承前) 一、当年極月上旬、氏政*1可致出仕旨御請一札*2進上候、因茲被差遣津田隼人正*3・冨田左近将監*4、沼田*5被渡下候事、 一、沼田要害請取候上ハ、右之一札ニ相任、則可罷上と被思召候処、真田*6相拘候なくるみの城*7を取、表裏仕候上者、使者ニ非可…

天正17年11月24日北条氏直宛豊臣秀吉朱印状(最後通牒)1

天正17年11月24日、秀吉はついに北条氏直へ最後通牒を発した。しかも当人のみならず諸大名へも「北条左京大夫とのへ」との充所と朱印を捺した正本を送りつけている。原則として古文書は受け取った者の家に残されるものであるが、正本が各大名家に残されると…

「市場で取り引きされる1人あたりの単価と取引総量の積」は人々の生活水準のメルクマールたり得るか調べてみた

かなり挑発的なタイトルになってしまったが、このところ流行の数量経済史に覚える違和感の一端をド素人ながら考えてみた。 主食など生活必需品の需要曲線は価格弾力性が低く、傾きが急な右下がりの曲線となる。なぜなら人間は価格が下がるまで霞を食べながら…

天正17年11月24日徳川家康宛豊臣秀吉朱印状写

態差遣使者候、北条*1儀、可致出仕由御請申、沼田城*2請取之、一札之面*3氏直をハ不相立、信州真田*4持内なくるミの城*5乗捕之由、津田隼人正*6・冨田左近*7かたへ自其方之書状ニ相見候、然者北条表裏者之儀候間、来春早〻出馬、成敗之儀可申付候、早四国・…

秀吉は本当に人身売買を禁じようとしたか

こういった記事をしばしば見る。 toyokeizai.net たしかに秀吉は何度か人身売買を禁じる法令を発しているが、一方で唐入においては次のような指示を出してもいる。 態と申し入れ候、朝鮮人取り置かれ候うちに、縫官・手のきゝ候女、細工仕る者、進上あるべき…

天正17年11月21日真田昌幸宛豊臣秀吉朱印状

小西行長や加藤清正に肥後天草の武装蜂起に対して指示を出した同日、東国の真田氏にも国境相論に関する文書を発している。秀吉による「天下統一」事業がそれほど簡単に進まなかったことを示していて興味深い。そのこと自体中世的秩序がいかに在地に深く根ざ…

天正17年11月21日加藤清正宛豊臣秀吉朱印状

(包紙ウハ書) 「 加藤主計頭*1とのへ 」 書状被加御披見候、志岐城為成敗、小西*2相動二付、人数相添遣、自身*3又渡海之旨尤候、然而為後詰天草出候処ニ、其方於手前*4追崩*5、悉切捨之由手柄候、遠路首不及差上候、重而*6志岐・天草物主*7共申付次第、彼…

天正17年11月11日加藤清正宛豊臣秀吉朱印状写

小西摂津守*1志岐・天草*2之奴原*3令成敗二付、為加勢差遣佐々平左衛門*4之由尤候、自分*5相越、不残申付両島*6を、首可差上旨被仰出候、人数*7入*8候事候者、摂津守申次第、其方も同前可相勤*9候也、 十一月十一日*10 朱印 加藤主計頭殿へ*11 (四、2734号…

天正17年11月6日北郷時久宛豊臣秀吉朱印状写

就唐船*1相着、如目録*2到来、種〻取揃之段、別而悦思食候、猶石田木工頭*3可申候也、 十一月六日*4 (朱印影) 本郷一雲軒*5 (書き下し文) 唐船相着くについて、目録のごとく到来し、種〻取り揃えの段、べっして悦び思し食し候、なお石田木工頭申すべく候…

天正17年10月14日清水寺成就院宛豊臣秀吉朱印状

清水寺本堂銭箱*1五ヶ所之事、妻帯之僧共取之、育女子*2候仁付而、今度被成御改、何茂被為召上、当寺造営之為、永代被寄附訖、本願*3令執沙汰、修造*4可仕者也、 天正十七年 十月十四日*5(朱印) 清水寺 成就院*6 (四、2729号) (書き下し文) 清水寺本堂…

天正17年10月3日松浦兵部卿法印宛豊臣秀吉朱印状

(包紙ウハ書) 「 松浦兵部法印*1 (異筆) 「到来 天ノ十七 十一ノ七日亥刻」*2 」 急度被(闕字)仰出候、①日本国〻之事者不及申、海上迄静謐ニ被仰付候*3故、従大唐*4令懇望、相渡候進物之船罷出候処、去春*5②其方自分領号商売船*6、てつくわい*7と申唐…

天正17年10月1日石田三成・大谷吉継宛豊臣秀吉朱印状(検地掟)

検地御掟条〻 ①一、田畠屋敷共ニ五間*1六拾間之定、三百歩*2ニ縄打*3可仕事、 ②一、田地上、京枡*4壱石五斗代*5、中壱石参斗代、下壱石壱斗代ニ可相定、其ゟ下〻ハ見計*6可申付事、 ③一、畠上壱石壱斗、中壱石、下八斗ニ可相定、其ヨリ下〻ハ見計可申付事、 …

天正17年9月28日太田牛一宛豊臣秀吉朱印状写(蔵入目録)

上山城*1御蔵入目録事 一、五百六拾五石七斗 寺田*2 一、百八拾九石九斗 ミつし*3 一、百四拾参石壱斗 なしま*4 (中略) 一、五十石 ひらを*5 合弐千参百参拾九石六斗 右令執沙汰*6、可致運上*7候也、 天正十七年九月廿八日*8 秀吉朱印 太田又助とのへ*9 (…

天正17年9月28日上杉景勝宛豊臣秀吉判物

書状加披見候、伊達左京大夫*1事、何様ニも上意*2次第之旨、御請*3通被聞召候、乍去会津*4之儀於不返渡者、被差遣御人数*5、急度可被仰付候条、成其意、堺目等之儀、佐竹*6相談、丈夫可申付候事肝要候、猶以会津之事如前〻被仰付候*7ハてハ不叶儀候条、佐竹…

天正17年9月27日細川藤孝・忠興宛豊臣秀吉判物(領知充行状)

丹後一国領知方拾壱万七百石之事、対父子一軄*1仁令扶助内、軍役之儀、少将*2三千人、幽斎*3千人、都合四千之可為役儀、此之*4条全可領知*5者也、 天正十七年 九月廿七日*6 (花押) 羽柴丹後少将とのへ 幽斎 (四、2713号) (書き下し文) 丹後一国領知方1…

天正17年9月24日福島正則宛豊臣秀吉朱印状写

於其国*1寺沢越中守*2相註伐置候大仏*3材木・其外御用木共、依由断遅怠、無是非次第候、然者為御奉行水原亀介*4・美濃部四郎三郎*5被指下候条、急度到尼崎*6可相届候、猶以於無沙汰者、可為曲事候、委細浅野弾正少弼*7・増田右衛門尉*8可申候也、 九月廿四日…

天正17年8月日本丸鉄門番宛豊臣秀吉朱印状(本丸鉄門ニ付定)

定 御本丸鉄*1御門番事 ①一、とり*2の上刻*3より、明るたつ*4の刻*5まて、女房*6とも*7一切城中の出入あるへからさる事、 ②一、夜中に状文*8の出入、番衆*9として書中を見候て、手くり*10に取次、とゝけ可申事、 ③一、御用候てまいり候女房衆こし*11の事は、…

天正17年8月27日島津義弘宛豊臣秀吉朱印状

今度至于片浦*1黒船*2着岸之由言上候、然者糸*3之儀商売仕度旨申之由候条、先銀子弐万枚、御奉行*4差添被遣候、有様ニ相場を相立可売上候、若糸余候ハヽ諸商人かハせ*5可申候、買手無之ニ付ては、有次第可被為召上候、此以後年中ニ五度十度相渡候共、悉可被…

天正17年8月25日片桐貞隆宛豊臣秀吉朱印状

猶以御代官所*1之儀も右同前に*2候間、能〻可相改候也、 急度被仰出候、 一、御台所人藤大夫と申ものヽむすめ、御内ニめしつか*3ハされ候処、御座敷ニおかせられ候御こしの物*4・御わきさし*5ぬすミ*6候ニ付て、親の藤大夫ちくてん*7候間、方〻*8被成御糺明…

天正17年7月16日上杉景勝宛豊臣秀吉判物写

去月廿四日之書状、被成御披見候、佐州*1之儀属一変*2之由、尤被思召候、弥仕置*3等丈夫*4可被申付事専一ニ候、猶増田右衛門尉*5・石田治部少輔*6可申候也、 七月十六日*7 秀吉 羽柴越後宰相中将とのへ*8 (四、2680号) (書き下し文) 去る月24日の書状、…

天正17年7月10日真田信幸宛豊臣秀吉朱印状

今度関東八州・出羽・陸奥方面〻*1分領*2、為可被立堺目*3等、津田隼人正*4・冨田左近将監*5為御上使被差下候、為案内者可同道、然者従其地*6沼田*7迄、伝馬六十疋・人足弐百人申付、上下共*8可送付、路次*9・宿以下馳走*10肝要候也、 七月十日*11 (朱印) …

天正17年5月16日飛鳥井雅春宛豊臣秀吉朱印状

賀茂松下*1鞠之弟子取事、無例之由、同於家之人*2前曲足蹴*3事無之旨(闕字)勅書・室町殿文書*4等一覧*5候、絹上絹袴有之、葛袴等無着事、同以無文*6紫革・無文燻革閇袴*7事、一切無之由、松下為弟子、沓袴令着用者於有之者、如有来*8被剥取之、法度堅可被…

天正17年3月28日宗義智宛豊臣秀吉判物

去〻年九州御進発*1之刻、以次高麗之儀為可被仰付、御人数差遣候処仁、父子*2出之砌、於箱崎*3高麗之事、何様共御意次第之趣、御侘言被申上*4、去年高麗国王可有参内*5由被申ニ付、被成御延引候、雖然至于当年遅参候、自然又如去年滞儀茂可有之被思食、小西…

天正17年1月20日島津忠長・伊集院忠棟宛豊臣秀吉朱印状写

就大仏材木之儀、最前如被仰出候、義久*1并兵庫頭*2領中*3杉・桧事、不寄大小入念付立*4、註文*5両人令持参、子細可言上候、寺社之雖神木等、大仏異尓他被仰付由候条、不存緩付立可申上候、依其趣可被差遣御奉行*6候、其刻自然*7可相立御用木於付残者、両人…

天正16年12月10日小西隆佐宛豊臣秀吉朱印状

天正十五年分納物成*1算用相究*2、払*3之朱印小日記上候て皆済*4也、但此日付以前之朱印小日記有之共、重而の*5さん用ニ相立ましき也、 天正十六 十二月十日*6(朱印) こにしりうさ*7 (三、2638号) (書き下し文) 天正十五年分納め物成算用相究め、払い…