日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

2020-12-01から1ヶ月間の記事一覧

和暦年号と西暦対応表つくりました(一応決定版です)

こちらからどうぞ www.dropbox.com 年表軽量版(2.9MB)もつくりました。 www.dropbox.com

天正13年地震に関する風聞

天正13年地震については多くの記録が残されている。おもな記事をまとめたのが下表である。 Table. 天正13年地震の記録 まず有名な帰雲城についての記述を見てみたい。 飛州*1の帰雲*2という在所は、内嶋という奉公衆*3あるところなり、地震に山を揺り崩し、…

ほぼ16世紀初めから17世紀全般の和暦年号干支西暦対応表(天皇・摂関・将軍在職日付付)つくりました

1581年までの和暦元日をユリウス暦で、1582年以降をグレゴリオ暦で示しました。1582年は和暦で天正10年、本能寺の変が起きた年でもあります。 こちらからどうぞ。 app.box.com

ほぼ16世紀初めから17世紀全般の和暦年号干支西暦対応表(天皇・摂関・将軍在職日付付)つくりました

1581年までの和暦元日をユリウス暦で、1582年以降をグレゴリオ暦で示しました。1582年は和暦で天正10年、本能寺の変が起きた年でもあります。 www.dropbox.com

天文1(享禄5)~元和年表つくりました

信長、秀吉、家康の生没年はカバーしました。また「未来年号」を排し、干支を加えました。文書の中には「年代」と干支が一致しない例もありますので。「大日本史料」の索引も兼ねるつもりでしたが、慶長の後半くらいから間違えてしまったようです。ご容赦く…

天正13年12月4日飯田半兵衛尉宛豊臣秀吉朱印状写

天正13年11月29日、グレゴリオ暦1586年1月18日、ユリウス暦1586年1月8日午前零時ごろ、畿内・東海・東山・北陸地方を地震が襲った。飛騨国の帰雲城が一夜にして埋まったと伝えられるあの天正地震である。美濃国郡上郡の長瀧寺「荘厳講記録」には「日本国中在…

天正13年11月21日豊臣秀吉足さすり等掟

(見せ消ちは取り消し線で示す) おもきて 一、足さすり*1候とき、いたか*2なるてい*3をし候物ニおいてハ、ふちふち*4十石かへさせ可申事、 一、ゆとの*5うらへのともはん*6かわりたる可候事、 一、秀吉・お祢ゝ*7ニくちこたへ*8候ハヽ、いちにち一やはしり*…

永禄1年(弘治4年)~元和1年(慶長20年)年表つくりました

「大日本史料総合データベース」よりコピペして年表をつくりました。ただし、和暦年号は改元年の元日に遡及せず、同時代(リアルタイム)の表現に改めました。 某大河ドラマではまだ嘉永7年なのに「安政元年」との日付のある文書を出してしまう大チョンボを…

天正13年11月18日一柳直末宛豊臣秀吉朱印状

態申遣候、其方蔵ニ有之五千俵、古米入替候、米・大豆事并当物成*1、代官所へ八木*2能仕候而置可申候、諸卒兵粮ニ可被下候間、可成其意候、然ハ津屋*3ニうたん*4やニ蔵を相拵、ぬりや*5ニ可申付候、五千俵程入置候様ニ造可申候、羽柴侍従*6かたへも被仰遣候…

天正13年10月20日前田玄以・松浦重政・大野光元・一柳直次・山口宗長宛豊臣秀吉朱印状写

諸公家・門跡・五山*1其外給人方知行事、三分一可渡申候、京廻知行当納*2何も法印*3相談、免*4以下一所ニ可納置候、就其桂川より東京廻帳分、先々差急相極上可申候、弥々不可有油断候、委細者民部卿法印*5ニ申聞候也、 十月廿日*6 朱印 民部卿法印 松浦弥左…