日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

NHKスペシャル 「大江戸」 第1回の問題点 2 ネタニマジレス(・∀・)カコワルイ!!

さてまず①の「 サムライが築いた」の意味するところを考えてみたい。

 

言い換えると中近世移行期における「侍」とは何かという問題である。様々な意味で使われるため一言で説明することは困難であるし無意味でもあり、結局史料の文脈ごとに個別に判断せざるを得ないのだが、すくなくともつねに「侍=武士」という等式が成り立つわけではないことだけは確かである。豊臣・徳川政権の法令に現れる「侍」に限れば、平時は郷村にあって戦時は戦闘員として合戦に臨む「奉公人」のことと理解されており、特定の主家に代々仕える譜代の被官=武家ではない。

 

譜代の被官はこの時期多くは「給人」と呼ばれている。本番組は「サムライ」を給人の意味で用いているが正確ではない。

 

史料1 文禄3年7月16日豊臣秀吉朱印状(島津家400号)

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(書き下し文)

 

①右御検地につき、諸侍・百姓以下他国へ失せ走る族これあるにおいては…

 

諸給人知行分、検地のうえにて引き片付け、所を替え相渡さるべくの条

 

 

傍線部①は検地を行う際、他国へ逃散する者として「諸侍・百姓」を挙げ、これを捕縛せよと命じる。つまり「侍」は百姓とともに検地を忌避する者の呼称なのである。

 

一方②は検地をした上で「諸給人」の所替えを行えとあり、土地を宛行われる武士であって島津家家臣を秀吉は「諸給人」と呼んでいたのだ。「侍」と「給人」の違いは歴然たるものがある。

 

 

史料2 細川忠興書状(「大日本近世史料 細川家史料」3097号)

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当の細川忠興も「給人」と「侍・百姓」を区別している。

 

 

(書き下し文)

 

①春中雨繁くござ候て麦腐り、給人も当て違い*1百姓も飢え*2申す躰にて候、遠国いずれも同然と聞こえ申し候、

 

②われら国も侍・百姓の兵粮続け申すべくようござなきゆえ、金銀・馬の飼*3などを遣わし、飢ゆるか飢えざるほどの儀にて候、

 

 

 

①は雨天のため麦が根腐れを起こして、給人は上納されるはずの穀物の当てがはずれ、上納すべき百姓は餓死しているという、給人と百姓の立場の違いを意識した記述である。

 

②は「侍・百姓」が食うに困り、貯えていた金銀や馬の餌代まで遣ってギリギリしのいでいる状況で「侍」と「百姓」が同じ境遇にあることを示している。

 

このことから「侍」は「給人」ではなくむしろ「百姓」に近い生活をしている者の呼称と解するのが無難である。

 

番組の趣旨に戻れば、細川家中ならば「サムライ」ではなく「給人」と呼ぶべきであるし、史料中に「侍」という文言があるならば「侍・百姓」を包括する用語を用いるべきである。不用意な言葉遣いは誤解のもとである。

 

ちなみに寛永13年は細川家が江戸城の普請を務めた年である。

*1:当てが外れて

*2:カツエ

*3:カテ