2018-02-01から1ヶ月間の記事一覧
今も健在な変体仮名(「変体」という言い方自体に問題がありそうだが)がTLに毎日流れてくる。 多くが老舗の包装紙や看板に多いのだが、こういう事例ははじめて見た。 仮名で「じまん」と書かれているそばに「じま」とルビが振ってある。仮名にふりがなとは…
形式は折紙。 和泉国所々本知 六千石為加増同国 南郡内四千石同 日野根郡内弐千石 都合壱万二千石 事令扶助之畢 全可領知候、但此内 弐千石無役壱万石 軍役可相務者也、 天正十九 後正月十一日(秀吉朱印) 小出信濃守とのへ *所々:踊り字は原文中にあると…
嘉永7年2月3日、次のような町触が出された。 (包紙ウハ書) 「町触」 異国船掛居候所江、見物之船乗出近寄申間敷旨等、去月十五日海岸町々江触置候処、亜墨利加船此節近海江碇泊いたし候ニ付、当地ゟ追々見物船差出、異船ニ近寄候儀も有之、陸地ゟも見物人…
こちらによった 福島県史料情報 第23号 形式は折紙・・・「折紙付」の折紙は古文書の一形式の「折紙」に由来する。この折り線に沿って切り離した場合「切紙」二葉となる。 *いまは「包紙ウワ書」でいいのだが、単語登録してしまったのでこれで通すことにす…
東京大学史料編纂所「大日本史料総合データベース」からまだ稿本のものを見つけたので掲載する。 直江兼続および慶長5年9月の史料目録はこちら。 docs.google.com 去十三日最上領、畑谷城乗崩撫切申付、城主江口五兵衛父子共首五百余討捕候、梁澤城茂明逃候…
『太閤記』巻第八(岩波文庫版(上)268頁以下または国立国会図書館デジタルコレクション 43コマ目以下 国立国会図書館デジタルコレクション - 太閤記 : 22巻. [4])に「古今各(=をのをの)知行割之事」という節がある。 まず信長の父、織田備後守信秀の知…
2/21(旧暦1/11)安倍晴明さま、誕生日に寄せ「狂言絵尽」から蘆屋道満大内鑑。全編、謎のマッチョたちの戦いまみれのとっちらかったストーリーでございます。少年安倍晴明が蘆屋道満との術対決で陰陽師になる結末(らしい)。藁人形関連の巻き添えで殺され箱詰…
国立国会図書館デジタルコレクションから「前関白秀吉公御検地帳之目録」がDLできる。 国立国会図書館デジタルコレクション - 前關白秀吉公御檢地帳之目録 全国の国別石高が五畿七道別に分けられ一覧できるものだ。おそらく慶長の役のため軍役負担の基準とす…
むかし情報誌に「ぴあ」という廉価版のものが売られていた。「チケットぴあ」の最初の姿であろう。 記憶は定かでないが学生起業家のはしりだったと思う。 現在「フッター」「ヘッダー」と呼ばれる部分にも印刷された、当時としては斬新なスタイルだった。 読…
毎月18日は防犯の日。画像は『雑事記』より「鼠小僧次郎吉申渡書并盗取候金子高」です。時代劇などでもお馴染みの鼠小僧に関する資料です。 pic.twitter.com/VsZLzNhJqE — 国立公文書館 (@JPNatArchives) 2018年2月18日 (前略) 武家屋敷江這入候得共盗不得…
高山宗熊が、阿湖姫と若君さまの縁組みを申し入れた書状について、写真を入手したので、もう少し考えてみたい。 まず、この書状もそうだが陣触や手配書(戦国期にそういったものが実際に存在したか否かは措く)といった当時の和紙が白いのに対し、21世紀新発…
文書に関する限り圧倒的に女性の負担が重いと思う。 こういったサイトがある。 このページは、科学研究費補助金(基盤研究(C))による研究「書状史料論の試み」(2010~12年度)の成果を発信するためのものです。 http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/personal/s…
ブログ主は書道のたしなみがまったくないので、文字の美醜を判断することは出来ない。したがって「達筆」という語彙を持たない。しかし、読みやすい文字とそうでない文字は歴然としてある。ただし、読みやすい、読みにくいの基準もひとそれぞれだ。 また習熟…
変体仮名は戦後戸籍での使用が禁じられた。しかし日常的には以下のようによく使われていた。1950年代の週刊誌はこうだったらしい。 また女性の名前でもまだまだ健在だ。 婦じゑ儀=ふじゑさん スタンダードな仮名文字 女偏をやや上にしたバリエーションなの…
アシガールの文書(もんじょ)は、書かれた当時は白色、のちに見つかった永禄3年の書状は経年劣化した茶色と数百年の時間差を表現するのに重要な役割を果たしている。 手配書のみならず、陣触や書状が書かれた当時の状態そのままを示すのに対し、正名僕蔵の…
松永久秀被官については以下の論文がある。 repo.nara-u.ac.jp 知行地が空間的にどのように分布していたかを明らかにし、いわゆる「戦国大名勢力図」がいかに単純化されたものかを確認させてくれる。ああいった色分けがされるほど事情は単純でない。あくまで…
手習いに苦労する唯。当時はドラマでも触れていたが15歳から60歳まで徴兵された。当然成人扱い、なのに文字も満足に書けないのかと思われそう・・・。 未来から来たことを知っている若君さまが、後世を憂うことのないよう、精進していただきたい。 まだ秀吉…
子細有之候付(闕字)*姫君様當城ニ 而御預申居候御息災ニ候間 可御心安候 扨是ヲ機縁にて 愚息宗熊と姫君いっそ縁組 仕度存候得共御存念如何候 哉両家千秋萬歳と相成候 者ゝ慶賀至極と愚考仕候何 卒御思案被下度候委細追而 可申上候 恐惶謹言 (月日未記載…
手習いに苦労する唯。当時の人から仮名も書けないのかと思われそう・・・。 お手本は「古今和歌集 巻第一 春歌上」 (唯の手習い) 年の内に 春はきに けりひとを こそとやいはむ ことしとやいはむ *けりひとを:本来は「けりひととせを」と書くべきところ…
(三条目:原文) 一、山科七郷・下十一ケ郷、何も過分損免被下候、殊去年日損百姓無正躰候、近郷勧修寺其外所々分者、山上并両院家損免被下候て、醍醐小野迄被下間敷由被仰候、迷惑仕候、去年中出砌、在所者共山上番仕候、致忠節候、此抔之趣、可然様御取合…
・・・日限御定候・・・ 二日御返事待入候、(恐惶謹言がない!!) 松丸治部少輔・・・ 永禄三年三月十九日 ・・・ 御屋形様 人々御中 (書き下し文) ・・・日限りおさだめ候・・・ 二日ご返事待ち入り候(恐惶謹言、恐々謹言など) 永禄三年三月十九日 松…
醍醐百姓言上、一、 下醍醐寺御寺家領者、以立毛之上御詫言申候、損免被下候て相果申候、上醍醐寺一円、如本斗代可被取之由、迷惑仕候、先々者山上・山下一同ニ損免被下御果候処、今更山上両院家計被下間敷由、新儀之仰出事候、一、 霜台様如御折帋(=紙)…
(本文見えず) 松丸治部少・・・ 永禄三年三月十九日 御屋形様 人々御中 女性の名前は仮名で書かれることが多く、戦後しばらくは変体仮名が使われていた。 「葉留能」=「はるの」さん 「登美」=「とみ」さん 「婦じゑ」=「ふじゑ」さん 阿湖姫を仮名で書…
前回天野信近による陣触を読んでみた。信近の「条々」では百姓7名が指名されている。また、読み聞かせている者の立場は天野の被官のように見えたが、はっきりとはわからない。郷村の代表者である「小代官」かも知れない。 問題は、領主が百姓ひとりひとりを…
条々 一、六月二十五日巳刻迄人数七人計、 至城門可罷越事、 一、政吉、権太、茂助、儀平、六助、 梅八、松兵衛、 此者共、今度可罷越事、 右於有相違者可為曲事候、以上 ・・・月二十二日 信近(花押) ・・・・百姓中 (書き下し文) 条々 ひとつ、六月二…
ドラマ「アシガール」の手配書を読んでみる。画像はこちらから。 http://pbs.twimg.com/media/DMpz85UUQAASRB2.jpg:small 手配書 梅谷村足軽唯之助 (似顔) 右者高山方と内通之疑有之候故、取締 方目下探索ニ及候也、見附候者ハ即刻 届可申事、應分之褒美被…
島津家文書447号によると島津義弘の分国は以下の通り。 誤差が大きいので、史料上の記述でグラフにした。 島津領国は、薩摩国半分、大隅国4分の1強、日向国4分の1弱で構成されていたことがわかる。 56万石に対しわずか1万石(1.7パーセントほど)程度である…
この記事で紹介された書状写を読んでみる。 www.chunichi.co.jp 遠路御使礼書望至極候、如仰旧冬其表罷通却種々御馳走、殊山口迄御送外聞表(=憑)悦、此事其以来以書状申入へキ、然者御身上之儀最前以面如申候、家康江 具申入候、尚以不可存誠意候、河 中…
20代の頃につぎの3つの論文を書いた。 論文1 序 戦国時代、あの永い戦乱はなんだったのか。百年に及ぶ戦乱=大量殺戮、中世末期の社会はなぜ、あのような莫大なエネルギー戦を費やさなければならなかったのか。そうして購われた「近世」とは一体なんだったの…
多聞院日記天正10年6月5日の条に次の記事が見える。 (中略)安土ハ去四日ニ向州へ渡了、棹山へハ城ニワノ五郎左衛門・山崎源太左衛門入了、長浜へハ齋藤蔵助入了、筒井先日城州ヘ立タル人数今日至江州打出、向州ト手ヲ合了、順慶ハ堅以惟任ト一味云々、いか…