20代の頃につぎの3つの論文を書いた。
論文1
序
戦国時代、あの永い戦乱はなんだったのか。百年に及ぶ戦乱=大量殺戮、中世末期の社会はなぜ、あのような莫大なエネルギー戦を費やさなければならなかったのか。そうして購われた「近世」とは一体なんだったのか。
https://doi.org/10.24471/shigaku.89.6_974
論文2
プロローグ
それは、さりげなく記されたひとことの文言から始まる。まずは、これからの道程の出発点となる二通の文書を掲げよう。
https://doi.org/10.24471/shigaku.90.10_1481
論文3(書評)
(前略)
これに比べ、後北条氏研究のキャリア十数年という、中堅どころのX氏の本は、「後北条氏の成果と課題」のような概説的な部分もかなり含んではいるが、論文集と呼ぶ方がふさわしい。
(中略)
Y氏の本の場合、概説集という性格も幸いして、そうした欠陥はあまり目立っていないが、X氏の著書にはこの欠陥が顕著である。
(中略)
『武州古文書』や『神奈川県史』というすぐれた史料集が供されている現在、文書の典拠はそれによって示すのが常識であり、既に骨董的価値しか持たない稀覯本のページ数を示してあっても何の役にも立たない。せいぜい三〇分もあれば済むであろうこの典拠書き換えの作業くらいは、読者のためにして欲しかった。ちなみに、Y氏の本では、この種の配慮はきちんとなされている。
(中略)
私も今、すべての戦国大名を視野に入れ、全く新しい観点から戦国大名論を構築しようと模索中だが、果たしてうまくいくかどうか……
https://doi.org/10.5955/jalha.1984.195
1980年代、当時若手だったある研究者が戦国大名の全体的考察を試みはじめている、というステイトメントでもある。
数年後、これは実を結び現在も文庫として書店に並べられている。またこの成果を講義に採り入れ、理工系大学での教育効果もあがっているやに仄聞する。
新聞などの連載や書評でも独特の文体で異彩を放っている。
さてわたしは誰でしょう???