嘉永7年2月3日、次のような町触が出された。
(包紙ウハ書)
「町触」
異国船掛居候所江、見物之船乗出近寄申間敷旨等、去月十五日海岸町々江触置候処、亜墨利加船此節近海江碇泊いたし候ニ付、当地ゟ追々見物船差出、異船ニ近寄候儀も有之、陸地ゟも見物人も多分之趣ニ相聞、不埒之至二候、異船渡来中者、仮令外用向ニ而最寄迄相越候儀有之候とも、海陸共都而見物ケ間敷儀者無用二候間、町役人共より厳敷相制候様可致候、
右之通、町中不洩様可触知もの也、
(書き下し文)
異国船掛おり候ところへ、見物の船乗り出し近寄り申すまじき旨など去月十五日海岸町々へ触れ置き候ところ、アメリカ船この節近海へ碇泊いたし候につき、当地より追々見物船差し出し、異船に近寄り候儀もこれあり、陸地よりも見物人も多分の趣にあい聞こえ、不埒の至りに候、異船渡来中は、たとえ外用向にて最寄まであい越し候儀これあり候とも、海陸ともすべて見物がましき儀は無用に候あいだ、町役人どもよりきびしくあいおさえ候よういたすべく候、
右の通り、町中もれざるよう触れ知らすべきものなり、
(大意)
異国船係がいるところへ、見物の船を乗り出し近寄らないことなどを去月十五日に海岸町々へ命じたところ、アメリカ船が最近陸地近くへ停泊しているので、その町々、村々、浦々よりつぎつぎと見物船を出し、黒船へ近づくこともあり、また陸地での見物人も多人数になるといううわさだが、言語道断である。黒船渡来中は、たとえ用事があるからと言って最寄まで来ることがあっても、海、陸ともに見物することはならないので、町役人どもからきびしく制止するようにしなさい。
右の趣旨、町中もれなく周知徹底させなさい。
「大日本古文書 幕末外国関係文書」安政元年2月
この町触の宛所一覧は以下の通り。
最寄の神奈川のみならず、鶴見、生麦、川崎や大森、羽田、品川まで触を出しているところは興味深い。それだけ物見高い野次馬が押しかけたのであろう。