日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

2018-02-01から1ヶ月間の記事一覧

史料と史実、観察者の関係図

(すべての事実)=(史料に書かれた事実)+(史料に書かれていない事実) ただし (史料に書かれた事実)≪(史料に書かれていない事実)≈(無限) これまで起きた出来事をE1,E2,E3・・・Eiとすれば (歴史上の事実)=E1+E2+E3+・・・・+Ei i≈∞ (歴史的事…

歴史番組の恐ろしい史料解釈

あるテレビ番組を見ていたところ、信じられない解釈が披露された。 曰わく 当時、人の名前を書くのを憚って伏せ字にする習慣があった 伏せ字にする習慣などない。名前ではなく、官途名、受領名、屋敷の所在地、単に「御屋形様/御館様」などと書いていたこと…

「史料に書かれているものだけが歴史ではない」について考えてみた???

上記のような文句をときどき見るが、「史学概論」を学んでいるのだろうかと不思議に思う。史学概論と銘打たれた書籍はいくらでもあるだろうに。 これまでのありとあらゆる出来事を「歴史上の事実」とするのに対し、なんらかの「歴史的意義」を見出したものを…

永禄10年11月制札 三好義継、松永久秀・久通父子発給禁制を読む

多聞院日記永禄10年11月27日の条に、三好義継、松永久秀・久通父子発給の2通の禁制が見える。 制札之写 禁制一、 春日社山内諸屋乱妨強盗事、一、 於山内甲乙人剥取事、付自寺内至社領并野田高畠出入違乱事、一、 神鹿致害山木材(伐)用事、右条々令停止訖…

西郷どん 和英英和辞典(横冊) (6) 謎の漂流者

(朱筆) 「アナダ ヘルペン」 おかわり Another helping (朱筆)「タンケス ギビンヌ」Thanks giving 礼ヲ言ウ* (朱筆)「タンク ワデ」Thank worthy 礼謝ヲ成スベ*キ (朱筆)「ダャタ」That 其・・・スッ* *ウ:「フ」? *ベ:「ヘ」? *ッ:「ツ…

諸説あり 2018年2月10日放送分で紹介された織田信忠文書を読む

織田信忠の文書が紹介されていたが、花押がないので判物ではないのだが仮に「元亀2年6月11日崇福寺宛織田信忠判物」とする。しかし、花押のない文書に果たして効力があったかどうか、肝心な点の説明がないのが昨今の歴史番組である。 当寺并門前之事、信長判…

仮名文字は覚えやすいか? 「<変革の源流 歴史学者・磯田道史さんに聞く>(6)高識字率で一気に浮上」への疑問

磯田道史氏が以下の記事で「覚えやすい仮名文字の存在は大きかった」と指摘されている。これは誤解されやすい発言ではないか。 www.tokyo-np.co.jp 古文書調査に参加した者なら誰でも感じることだが、明治に入ると途端に字が読みにくくなる。この文字の読み…

変体仮名でおもてなし

ほんの1例 参照サイト 変体仮名を調べる 変体仮名 五十音順一覧1

幕末の金回り事情

運送業の人件費高騰問題は江戸時代にもありました。生麦事件の後、英国が江戸の町を砲撃する噂が広まり、地方へ避難する人が続出。一方、運送業に携わる人たちは賃金が高騰して大喜び。お金が移動する様をユーモラスに描いた作品。太田記念美術館の「幕末・…

天正13年9月14日 本願寺顕如、秀吉有馬湯治につき手土産を贈り、秀吉、顕如に礼を述べる

就湯治為音信、紙子二并菓子一折到来、祝著候、近日可帰城之間、旁期面之節候、恐々謹言、 (天正十三年) 九月十八日 秀吉(朱印) 本願寺殿 (書き下し文) 湯治につき音信として、紙子二ならび菓子一折到来し、祝著に候、近日帰城すべきのあいだ、かたが…

昭和45年カ11月19日坊城俊民宛三島由紀夫書簡を読む

mainichi.jp 掲載された書簡の一部を読んでみる。 郵便番号の導入が1968年7月1日であり、三島の死が 1970年11月25日、消印が「?5.11.20 8-12」なので昭和45年、自決1週間ほど前の書簡らしい。記事本文中でも「自決する6日前に同窓の友人宛てに送った」とあ…

由緒正しき年齢早見法

日本の紀年法は年号および干支で表すのが習わしである。たとえば「丙午」(ひのえうま)が高度経済成長期に意識されていたことは出生数の大幅な減少によっても確認できる。 前後で50万人近く、比率では130/180=72.2%で、4分の1減少するほどの影響を与えて…

年号を西暦に換算せず何年前のことか知る方法

今年は戊戌(つちのえいぬ)年である。戊辰(つちのえたつ/ぼしん)年から150年目だという。年は十干と十二支の組み合わせからなるので、10と12の最小公倍数が60であることから、61年目にもとの干支(かんし/えと)に還る。 したがって数え年で61歳になる…

天正10年6月17日 多聞院英俊、明智光秀を呪い殺す!?

多聞院日記天正10年6月17日の条に光秀の名前がふたたびあらわれる。あの29万回以上呪った英俊である、どう書き残したか、興味がそそられる。 なお該当箇所は123コマ目である。 国立国会図書館デジタルコレクション - 多聞院日記. 第3巻(巻24-巻31) 十七日 一…

天正10年6月3日 明智光秀、正親町天皇を殺害し、御所を焼き払うとのうわさが英俊の耳に入る。 英俊、呪詛97万2900遍唱える

多聞院日記天正10年6月3日の条に以下の記事が見える。 (六月脱) (朔日脱) (四条目)一、 信長公一昨日二十八日上洛云々、大宮番衆へスヽ・両種遣之、(中略)二日一、 信長於京都生害云々、同城介殿も生害云々、惟任并七兵衛(後筆「コレハウソ」)申合…

天正20年12月文禄改元

興福寺に多聞院英俊という僧が書き残した日記がある。「多聞院日記」である。ベストセラー呉座勇一『応仁の乱』の主人公のひとり、尋尊が著した「大乗院寺社雑事記」と並び立つ、詳細な日記である。日記といっても私的なものでないことは同書200頁以下に説明…

なぜ木地師、轆轤師は免許を必要としたか  補足 承平5年11月9日器杢助宛朱雀天皇綸旨を読む 人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ!

先日、以下の記事を書いた。 japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com この記事で「明治に入るまで、山野河海の利用は基本的に地元の慣行に委ねられていた。また、この轆轤師のように特定の免許を受けた者も自由に利用できた」と述べたが、ここでなぜ…

有馬温泉と秀吉 その2 湯治にともなう出費と精算 ブラタモリ #97 有馬温泉

「大日本史料総合データベース」によると文禄3年12月28日「有馬湯山御算用状之事」という史料が残されている。このうち支出について見てみたい。 有馬湯山御算用状之事 一、弐百五拾石 文禄弐年分納物成一、百五拾石 同三年分納物成 此外百石 薬師堂文禄三年…

卒論・口頭試問・卒論発表会

あるドキュメンタリー番組をみたところ、船内でPCと格闘する学生のインタビューでおかしな場面に遭遇した。 学生「卒論発表会の資料を作っているんです」 確かにプリントアウトされた資料が周囲に散乱しており、一目でプレゼンテーション用ソフトで作成され…

ブラタモリ 熱海の絵図

松田法子氏の論文を読んでみると近世の「湯株」を軸とした温泉町が、近世的特徴を継承しつつ、近代的な変容を遂げていく過程が、よくわかる。その特徴を表す言葉が「湯戸」である。 ところで温泉町といえば、射的や遊郭など娯楽施設が欠かせない。松田氏も w…

有馬温泉と秀吉 その1 ブラタモリ #97 有馬温泉

温泉番付の一部を掲出する。 大関 関脇 小結 東 上州草津湯 下野之那須 秋田小鹿嶋湯 西 摂津有馬湯 但馬城之崎ノ湯 予州道後湯 秀吉と有馬温泉の関係を示す史料は、「大日本史料総合データベース」で14件、「古文書フルテキストデータベース」で1件ヒットす…

日本の名前のむずかしさ 氏と姓と名字(苗字) その1

慶応までの日本人の名前は複雑である。 さて「豊臣秀吉」はどう読むべきだろうか。 秀吉は信長の後継者としての立場を固めると「平」姓を名乗り、ついで近衛前久の養子となり「藤原」姓を名乗るが「源平藤橘」の四姓とは別に5番目の姓として「豊臣」を創出し…

「西は櫓櫂」と「海は櫓櫂」 承平5年11月9日器杢助宛朱雀天皇綸旨を読む  人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ!

先日テレビで山の民を祖先とする名字のテレビ番組を見た。「山川藪沢の利は公私ともにせよ」とする律令制以来の原則が明治に入り否定され、国有化されるという、多くの入会地がたどったものと重なる。 そこで紹介された文書が、朱雀天皇綸旨とされる文書であ…

『豊臣秀吉文書集 四』刊行記念 天正18年の年表および古文書目録 撫で切り 山の奥、海は櫓櫂の続くまで

天正18年、後北条氏の降伏および奥州仕置の史料満載の『豊臣秀吉文書集四』がついに刊行された。「一郷も二郷もことごとく撫で切りつかまつるべく」「山の奥、海は櫓櫂のつづき候まで」で名高い浅野長政宛朱印状も収載されている。 本ブログもこれに便乗して…

「ひとたらし」考 ふたたび

「ひとたらし」という言葉を、処世術やビジネスマナーなどの記事で見かけるとき、それらほとんどが褒め言葉である。しかし、以前述べたように「たらす」という言葉は16世紀から19世紀にかけてけなし言葉だった。(註)「女たらし」が褒め言葉かどうかでも察…