日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

アシガール第10回「その結婚ちょっと待った!」 永禄3年月日未詳松丸義秀宛高山宗鶴書状を読む

 

 

子細有之候付(闕字)*姫君様當城ニ

而御預申居候御息災ニ候間

可御心安候 扨是ヲ機縁にて

愚息宗熊と姫君いっそ縁組

仕度存候得共御存念如何候

哉両家千秋萬歳と相成候

者ゝ慶賀至極と愚考仕候何

卒御思案被下度候委細追而

可申上候 恐惶謹言

  (月日未記載)   高山宗熊(花押)

  松丸義秀殿

*闕字:「けつじ」敬意を表すため一字分空白を取る。さらに敬意を表すために改行する場合を平出という。これらの表現法が「公的に」廃止されたのが以下の史料。

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太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第四十一巻・官規十五・文書三

ただし、公的な廃止と私的な手紙の世界は同じでない。その作法は現代の手紙のマナーにも強い影響を及ぼしている。たとえば宛名も「樣」>「様」というマナーは生きており、招待状の返信は

  

  ○○○○   

より

  ○○○○  

 

 の方が相手を敬う形式となる。もちろん受け取った方に「樣」の知識があればの話で、「誤字」と勘違いされた経験もある。

*恐惶謹言:「きょうこうきんげん」。「恐々謹言」などと同様「謹んで申し述べました」という意味の決まり文句。現在の「敬白」などにあたる。

*者ゝ:「者」は変体仮名の「は」なので踊り字は「ゝ」となる。「々」は漢字、「ヽ」はカタカナ、二文字以上の繰り返しは「くの字点」と呼ばれるものを使う。

「踊り字」の画像検索結果

https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcTLFfdeYRkLciYS4YeHoQb2gCHJtSLdRkukwnwco18_BGSBsfnD

(書き下し文)

子細これあり候につき  姫君様当城にてお預かり申しおり候、御息災に候あいだお心安んずべく候、さてこれを機縁にて愚息宗熊と姫君いっそ縁組つかまつりたく存じそうらえども、ご存念いかが候や、両家千秋万歳とあいなりそうらわば慶賀至極と愚考つかまつり候、なにとぞご思案下されたく候、委細おって申し上ぐべく候、恐惶謹言

  (月日未記載)   高山宗熊(花押)

  松丸義秀殿

 

(大意)

いろいろと事情がありまして姫君様当城にてお預かりしております。ご無事ですのでご安心ください。さてこれを「えにし」に愚息宗熊と姫君いっそ縁組させたく存じますが、そちら様のお考えはいかがでしょうか。両家が永遠のご縁となりましたら、喜びはこのうえないことと考えております。どうかお考えくださいますようお願い申し上げます。なお詳しいことは後ほど申し上げます。以上謹んで申し上げました。