大仏殿*1しつくい*2の御用候間、しほり*3候ゑ*4・同ゑの油*5并しら木の実の油*6、於其国調次次*7第買候て上可申候、同にかわ*8の御用候、牛皮*9是又有次第買調、上可申候、いつれも右分代*10儀者、有様*11可遣之候、自此方可有御下向*12候条、成其意無由断調可上者也、
十月朔日*13 (朱印)
中川右衛門太輔とのへ*14
(三、2610号)(書き下し文)大仏殿漆喰の御用候あいだ、搾り候荏・同荏の油ならびに白木の実の油、その国において調い次第買い候て上げ申すべく候、同じく膠の御用候、牛皮これまた有り次第買い調え、上げ申すべく候、此方より御下向あるべく候条、その意をなし由断なく調い上ぐべき者なり、(大意)方広寺大仏殿建立のため漆喰を必要としているので、搾った荏胡麻、同じく荏胡麻の油、白木の油をその国で揃い次第買い付け京都へ送るようにせよ。同様に膠も必要である。また牛革もあるものすべてを買い揃え京都へ送るように。いずれも代金は正当な額を渡すように。関白自身が下向するので、その心づもりで入念に必要な資財を揃えるように。
同日、同文文書が堀秀政、長谷川秀一、一柳直末、溝口秀勝にも発せられている。大仏殿普請に当たって各大名に割り当てられた人夫徴発数は下表の通りである。
Table. 大仏殿御普請手伝番折書上
本文書は秀政らに大仏殿建立に要する資財を各領国において確保し、京都へ送るように命じている。ただ、下線部にあるように「いずれも右分代儀は、ありようこれを遣わすべく候」と正当な代金を渡すように命じた点は注目に値する。これは不当に安く買い取る「押買い」の禁止を意味するのであろう。
戦国期以来「押買い」は「押売り」とともにたびたび禁止されていたが、いまだ「押買い」を当然の商慣行とする者が大名にもいたのだろう。