日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正17年9月28日太田牛一宛豊臣秀吉朱印状写(蔵入目録)

 

 

    上山城*1御蔵入目録事

 

一、五百六拾五石七斗      寺田*2

 

一、百八拾九石九斗       ミつし*3

 

一、百四拾参石壱斗       なしま*4

 

(中略)

 

一、五十石           ひらを*5

 

   合弐千参百参拾九石六斗

 

 右令執沙汰*6、可致運上*7候也、

 

   天正十七年九月廿八日*8 秀吉朱印

 

           太田又助とのへ*9

 

(四、2715号)

 

(書き下し文と大意は省略した)

 

 

 

Fig.上山城関係図

                   『日本歴史地名大系 京都府』より作成

Table. 上山城蔵入地一覧

山城国のうち綴喜、相楽の2郡2340石ほどの地を太田牛一が蔵入地代官として支配していたことを示す史料である。

 

こういった数値のみの史料を読むのは、砂を嚙むような作業だが重要である。

*1:南山城のことか

*2:山城国綴喜郡寺田村、下図、下表参照。以下同じ

*3:水主

*4:奈島

*5:平尾

*6:トリザタ、支配する

*7:年貢などを蔵に納めること

*8:グレゴリオ暦1589年11月6日、ユリウス暦同年10月27日

*9:牛一。織田信長の弓衆、秀吉の検地奉行、蔵入地奉行をつとめた。『信長公記』を著したことで知られる