日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正16年8月12日小早川隆景宛および名和顕孝宛豊臣秀吉朱印状

<史料1> 長野三郎左衛門尉*1・原田五郎*2・草野中務大輔*3両三人事、至肥後国被差遣、替地被仰付候、然而為右入替、於筑前国内八百町城十郎太郎*4、五百町伯耆左兵衛尉*5、合千参百町事相渡之、則可令随逐*6候也、 天正十六 八月十二日*7 (朱印) 羽柴筑…

天正16年8月10日小早川隆景宛豊臣秀吉朱印状

肥後諸城番手*1之儀、十月中所務等*2取納候迄、在番可被申付候、打続造作*3儀候也、 八月十日*4 (朱印) 羽柴筑前侍従とのへ*5 (三、2589号) (書き下し文) 肥後諸城番手の儀、十月中所務など取り納め候まで、在番申し付けらるべく候、打ち続く造作の儀…

天正16年7月16日宗義智宛豊臣秀吉判物

高麗儀、柳川*1□*2遣、色〻入精段尤候、至来年可渡海由、被聞召届候、然者□*3已下可為造作*4候間、□□*5弐千石被遣之候、猶施薬院*6・小西和泉*7被申候也、 七月十六日*8 (花押) 宗対馬守とのへ*9 (三、2576号。下線部は引用者) (書き下し文) 高麗の儀…

天正16年7月10日鍋島直茂宛豊臣秀吉朱印状写

肥前国草野*1跡*2事、毛利壱岐守*3相談令検地、即為御蔵入*4両人令執沙汰*5可致運上候、深堀*6跡之儀も右同前致検地、可令執沙汰候、深堀方へ替地*7之義者、以御蔵入内相渡之、龍造寺*8へ引越可有之旨、深堀可申付候、猶毛利壱岐守へ被仰聞候也、 七月十日*9…

天正16年7月8日立花宗茂宛豊臣秀吉朱印状(刀狩令)2/止

<史料1> (書き下し文) (端裏書) (貼紙) 「 「太閤刀狩の御朱印」 羽柴柳川侍従*1とのへ 」 条〻 一①、諸国百姓ら、刀・脇指・弓・鑓・鉄炮、そのほか武具の類所持候こと、かたく御停止に候、その子細*2は、入らざる道具*3相蓄え、年貢所当を難渋せし…

天正16年7月8日立花宗茂宛豊臣秀吉朱印状(刀狩令)1

(端裏書) (貼紙)*1 「 「太閤刀かりの御朱印」 羽柴柳川侍従*2とのへ 」 条〻 一①、諸国百姓等、かたな*3・わきさし*4・ゆみ*5・やり*6・てつはう*7、其外武具のたくひ所持候事、かたく御停止*8候、其子細は、不入たうく*9相たくはへ、年貢所当をなんし…

天正16年7月8日豊臣秀吉朱印状(海賊禁止令)(3)/止

一②、国〻浦〻船頭・猟師、いつれも舟つかひ候もの、其所之地頭代官として速相改、向後聊以海賊仕ましき由誓紙*1申付、連判をさせ、其国主取あつめ可上申事、 一③、自今以後、給人領主致由断、海賊之輩於在之者、被加御成敗、曲事之在所知行以下末代可被召上…

天正16年7月8日豊臣秀吉朱印状(海賊禁止令)(2)

(書き下し文) 「 羽柴柳川侍従殿へ」 定 一①、諸国海上において賊船の儀、堅く御停止なさるるのところ、このたび備後・伊与両国のあいだ、伊津喜島にて盗船仕るの族これある由聞し食され、曲事に思し食すこと、 (大意) 「 立花宗茂殿へ」 定 一①、諸国海…

天正16年7月8日豊臣秀吉朱印状(海賊禁止令)(1)

天正16年7月8日、秀吉は二通の朱印状を発した。いわゆる海賊禁止令と刀狩令である。これらは中世の原則である自力救済を禁じた「惣無事」政策の重要法令として位置づけられる。刀狩令が百姓の完全な武装放棄を促したといえないことは、今日では常識になって…

天正16年7月4日上林久茂・森彦右衛門宛豊臣秀吉金子請取状

豊太閤真蹟集. 下 84コマ目 dl.ndl.go.jp 上記文書のうち、充所のみ秀吉自筆である。 請取金子之事 合弐拾九枚*1参両*2者 但壱枚ニ付て、四十壱石かへ也、 右八木*3合千弐百石也、 天正十六年七月四日(朱印) かんはやしかもん*4 もりひこゑもん*5 (三、25…

天正16年6月21日木食応其・寺沢広政宛豊臣秀吉朱印状

大仏殿*1大工*2并杣*3大鋸*4事、和州・紀州・江州・伊州・丹州五ヶ国*5、能〻相改可召仕候、殊其身者不能出、下手*6大工を為代出之輩可為曲事候、若無沙汰族*7於在之者、為身懲*8候条、堅可被仰付候、然者給人*9夫役*10事、最前如被仰出候*11、諸役*12有之間…

天正16年6月16日島津義久宛豊臣秀吉朱印状

しつくいぬり*1候者、唐人*2・日本仁*3共当国*4ニ在之由候間、早〻申付可差上候、不可有由断候、猶浅野弾正少弼*5・増田右衛門尉*6可申候也、 六月十六日*7(朱印) 島津修理大夫とのへ*8 (三、2527号。下線部は引用者) (書き下し文) 漆喰塗り候者、唐人…

天正16年6月15日上杉景勝宛豊臣秀吉領知充行状

(包紙ウハ書) 「 越後宰相殿*1 」 為在京賄料*2、於江州蒲生・野洲・高島三郡*3内壱万石<目録別紙*4有之>事、被宛行之訖、全可有領知之状如件、 天正十六 六月十五日(花押) 越後宰相とのへ (三、2525号。<>内は割註) (書き下し文) 在京賄料とし…

天正16年閏5月15日加藤清正宛豊臣秀吉領知方目録

肥後国領知方目録事 一、四万参千八百八拾五石 玉名郡内 一、壱万弐千百七拾六石六斗 山鹿郡 (中略) 合拾九万四千九百拾六石 此内 千石 此内五百石今度御加増 小代伊勢守*1 参千石 此内千石今度御加増 同下総守*2 壱万六千石 国侍ニ被下分、重而御朱印次第…

明治12年(1879)1月1日現在府県郡区別人口 内務省戸籍局による

明治12年1月1日現在の府県、郡区別人口構成は以下の通りである。人口最高を誇るのは石川県の185万人あまりで、東京府の倍近い。また沖縄県では女性人口比率が高い docs.google.com

明治12年(1879)郡区編成による府県庁および郡区役所所在地

明治11年7月22日に発せられた太政官布告17号は「郡区町村編制法」を自称している。基本的な史料なので全文を掲げておく。 郡区町村編制法(明治11年7月22日太政官布告17号) 郡区町村編制法、左の通り定められ候条、この旨布告候こと 第一条 地方を画して府…

明治5年1月「府県管轄便覧」による府県-国郡対照表

明治5年1月の府県郡と国郡の対照表を作成した。 docs.google.com かなり特殊な例として「置賜県」が挙げられる。現在の山形県米沢市周辺であるが、「羽前国置賜郡の内」のみでひとつの県を形成するというのは置賜県のみである。おそらくは上杉領がそのまま引…

【改訂版】慶応1年「慶応元年武鑑」に見える大名一覧

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明治2年版籍奉還にともなう藩知事任命一覧

版籍奉還によりそれまでの大名は「藩知事」に任命された。各藩知事は以下の通りである。 docs.google.com 興味を引く点を挙げてみよう。 第一に9の「長州藩」としてよく知られる「周防山口」の毛利宰相家である。ただ長州、つまり長門ではなく周防と認識され…

府県別諸侯分布

前回明治9年現在の府県別諸侯一覧を掲載した。ただ、小大名は紙幅の都合から割愛したため大まかな傾向を示すにとどまらざるを得なかった。今回はこれをすべて府県別に分類し、さらには大名数の多い順に府県をソーティングしてみた。 docs.google.com すると…

明治9年9月3府35県(ほかに開拓使と琉球藩)と慶応4年2月11日300諸侯の対照表

明治以降の府県制はよくいえば試行錯誤の連続、有り体にいえばその場しのぎで(姑息で)弥縫的な側面が強く、また戸口や石高も旧大名による申告が多かったようだ。データベースに入力していると弥縫的と強く感じる。とりわけ入力する際には何を選び取り、何…

慶応4年2月11日明治新政府による300諸侯一覧

慶応4年2月11日(太陰太陽暦)明治新政府は約300名を「諸侯」に任じた。このうち40万石以上の者を「大藩」*1としたが、徳川宗家16代徳川家達も駿河静岡藩主としてその一角を占める。こうした少数の者による支配体制をオリガーキー(oligarchy)、それら少数…

天正16年閏5月15日加藤清正宛豊臣秀吉領地充行状

於肥後国領知方、都合拾九万四千九百拾六石、目録<別紙在之>事、被宛行之訖、但此内弐万石国侍*1ニ可被下之条、御朱印次第*2相渡、則其方可致合宿*3、其外見宛*4全可令領知候也、 天正十六 後五月十五日*5(朱印) 加藤主計頭とのへ*6 (三、2514号。<>…

天正16年閏5月15日加藤清正宛豊臣秀吉朱印状

(包紙ウハ書) 「 加藤主計頭とのへ*1 」 其方事、万精を入、御用*2ニも可罷立与被(闕字)思食付而、於肥後国領知方一廉*3被作拝領*4、隈本*5在城儀被(闕字)仰付候条、相守御法度*6旨、諸事可申付*7候、於令油断者可為曲事候、就其陸奥守*8事、以一書*9…

天正16年閏5月15日大矢野種基宛豊臣秀吉朱印状写

肥後国天草郡内千七百五十*1之事、此度以御恩*2地之上、為被宛行之訖、全令領知、小西摂津守*3于致合宿*4、可抽忠節候也、 天正十六 後五月十五日 御朱印 大矢野民部大輔とのへ*5 (三、2512号) (書き下し文) 肥後国天草郡のうち千七百五十石のこと、この…

【改訂版】明治5年大蔵省編纂『改置府県概表』に見える3府298県から3府71県への再編成

明治5年8月大蔵省により編纂された『改置府県概表』を一覧表にした。なお、もともとの持ち主が朱で追記をしているのを「備考欄」にできるだけ反映させ、より新しい府県も確認できるよう努めた。 改定箇所 2022年7月15日 「ひとつのセルにひとつの情報」とい…

天正16年閏5月14日小早川隆景宛豊臣秀吉朱印状(6/止)

一、むつのかみ*1、肥後ニ有之者共曲事ニあらす候間*2、其ぶん/\二*3知行可被下候条、くまもとに堪忍可仕事*4、 天正十六年 後五月十四日*5 (朱印) 小早川左衛門佐とのへ*6 (三、2506号。なお読点の位置を文書集と一部替えた) (書き下し文) 一、陸奥…

天正16年閏5月14日小早川隆景宛豊臣秀吉朱印状(5)

右之曲事条〻雖有之、其儀をかゑり見させられす、肥後国被仰付候に、月を一ヶ月共不相立、国ニ乱をいてかし*1候儀、(闕字)殿下迄被失御面目候間、御糺明なしにも、むつのかミ*2腹をきらせらるへきと被思召候へ共、人の申成も有之かと被思召、浅野弾正*3・…

天正16年閏5月14日小早川隆景宛豊臣秀吉朱印状(4)

一、御開陣之刻、国人*1くまもとの城主*2・宇土城主*3・小代之城主*4かうべをゆるさせられ*5、堪忍分を被下、城主女子共ニ大坂へ被召連*6、国ニやまい*7のなき様ニ被仰付、其外残の国人之儀、人質をめし被置*8、女子共陸奥守有之在くまもと*9ニ被仰付候処、…

天正16年閏5月14日小早川隆景宛豊臣秀吉朱印状(3)

一、つくし*1御成敗、天正十五年、殿下被出(闕字)御馬、一へん*2ニ被仰付候刻、むつのかみ信長御時、武者の覚*3かいりき*4かましきと人の申成、殿下にも見およはせられ*5、つくしの内、肥後国よき国ニ候間、一国被仰付、兵粮・鉄炮の玉薬以下迄城〻へいれ…