急度被仰出候、
一、御台所人藤大夫と申ものヽむすめ、御内ニめしつか*3ハされ候処、御座敷ニおかせられ候御こしの物*4・御わきさし*5ぬすミ*6候ニ付て、親の藤大夫ちくてん*7候間、方〻*8被成御糺明候事、
一、其方分国中、一在所をきり*9屋内をさかし*10、其上地下人・他所の者堅相改、其在所の者又ハ他所の者にても不苦ものハ、地下人請ニ候て一札をさせ可申候、少も不審なるもの於在之者、からめとり*11可上候、
一、右藤大夫と申ものハ、とし六十計之者二候、あたまをそり*12、さまをかゑ*13候事も可有之候、若糺明令無沙汰、自余の口より其方分領にて於尋出者、知行被召上、則其方事も可被召失候条、成其意、精を入可相改候、不可有由断候也、
八月廿五日*14 (朱印)
片桐主膳正とのへ*15
(四、2698号)(書き下し文)きっと仰せ出され候、
一、御台所人藤大夫と申す者の娘、御内に召し使わされ候ところ、御座敷に置かせられ候御腰の物・御脇指盗み候について、親の藤大夫逐電候あいだ、かたがた御糺明なされ候こと、
一、その方分国中、一在所を切り屋内を探し、その上地下人・他所の者堅く相改め、その在所の者または他所の者にても苦しからざる者は、地下人請けに候て一札をさせ申すべく候、少しも不審なる者これあるにおいては、搦め捕り上ぐべく候、
一、右藤大夫と申す者は、年六十ばかりの者に候、頭を剃り、様を変え候事もこれあるべく候、もし糺明無沙汰せしめ、自余の口よりその方分領にて尋ね出だすにおいては、知行召し上げられ、すなわちその方ことも召し失せらるべく候条、その意をなし、精を入れ相改むべく候、由断あるべからず候なり、
なおもって御代官所の儀も右同前に候あいだ、よくよく相改むべく候なり、
(大意)きびしく仰せになるだろう。一、御台所に仕える藤大夫と申す者の娘が、城中に呼ばれたところ、御座敷に置かれていた太刀・脇指を盗み、父親である藤大夫は逃亡したので片っ端から調べるように。一、そなたの領国中、一在所ごとに家捜しをし、その上で地下人かよそ者かをよく吟味し、その在所の者、あるいはよそ者でも問題ない者は地下人が請人として一札を出させるようにしなさい。少しでも怪しい者がいた場合捕縛し、差し出すようにしなさい。一、右の藤大夫と申す者は60歳くらいで頭をそり上げ、人相を変えている場合もあるだろう(からよく注意しなさい)。もし、追跡を怠ったり、そなたの分国内で他の者が見つけ出した場合、知行地を没収し、召し放ちとなるので、その旨承知し、精を入れて捜索につとめなさい。なお蔵入地についても右同様に捜索しなさい。
片桐貞隆は天正13年の山城検地に携わるなど豊臣政権の基礎固めを行った者の一人であるが、詳細は不明である。彼の知行地は下表のように1000石を超える程度で、しかも三ヶ国に分散しており「分国」と呼べるような領域的な支配を行っていたと思えない。しかし本文書では「分国」、「分領」と呼び、また「御代官所」=蔵入地の代官も務めていた。
Table. 片桐貞隆知行所分布
本文書は藤大夫なる者の娘が盗みをはたらき、責任を取るべき藤大夫が逐電してしまったので捜索せよという命令である。
下線部によると「在所」すなわち郷村には「他所の者」というよそ者が住みついていたことがわかる。彼らはおそらく「奉公人」であろうが、この時点では「地下請」という郷村による保証があれば特に追放すべき対象にならなかった。