日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正7年2月18日宮田村矢代村鍛冶二名所宛明智光秀判物を読む

 

 

汝両人諸役令免許畢、於用所者直可申付者也、仍如件、

 天正七年        (光秀)

  二月十八日       (花押)

        宮田村鍛冶

            次郎太郎所

        矢代村鍛冶

            与五郎所

 

(藤田ほか編『明智光秀』87号文書、これまでと同様「判物」と判断した)

 

(書き下し文)

なんじ両人諸役免許せしめおわんぬ、用所においてはじかに申し付くべきものなり、よってくだんのごとし、

 

*宮田村、矢代村:丹波国多紀郡

 

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        「日本歴史地名大系」兵庫県より作成 

 

*次郎太郎、与五郎「所」:次郎太郎、与五郎が影響をおよぼしうる地域

 

(大意)

貴殿ら両人が務めるべき諸役を免除させたところである。要用がある際は直接命じるものとする。以上。

 

 

次郎太郎と与五郎の両名は「所」請の「所」役人に任じられた反対給付として、諸役免許という特権を与えられたのだろう。

 

「じかに申し付くべきものなり」との文言からは、直接次郎太郎らを掌握しようとした意図が読み取れる。あるいは次郎太郎らより、上層の干渉を嫌った可能性もある。