猶以小田原籠城奴原、妻女姉妹等有之者、不散在様ニ仕、一所ニ可集置候、最前如被仰聞候*1、御分別*2有之儀候間、可成其意候以上、
岩付之儀、寿*3を助、城可請取之由申越候、被差遣御上使、悉可加誅伐由被仰出候処、不及御届*4相免候段、不相届仕合共候、不及異儀、明渡城之儀ハ請取儀勿論候、岩付之事者、足軽を出覃*5儀兵候ニ付而*6、既町・端城*7を追破、本城迄之躰二仕、城内迷惑*8ニ成、懇望*9仕候とて相助候儀、沙汰限候*10、於此上も城中者とも雖可被成御成敗候、対両人此度者被成御免候、此以来如此之於仕立*11者、可為曲事候、然者早〻鉢形面*12へ押詰、景勝*13・利家*14相談取巻候て、様子毎日注進可申上候、石田治部少輔*15可被差遣候間、猶其節可被仰聞*16候也、
五月廿五日*17(朱印)
浅野弾正少弼とのへ*18
木村常陸介とのへ
(四、3227号)
(書き下し文)
岩付の儀、寿を助け、城請け取るべきの由申し越し候、差し遣わさらるる御上使、ことごとく誅伐加うべきの由仰せ出だされ候ところ、御届に及ばず相免じ候段、相届かざる仕合どもに候、異儀に及ばず、明け渡す城の儀は請け取る儀勿論に候、岩付のことは、足軽を出覃儀兵候について、すでに町端、城を追い破り、本城までの躰に仕り、城内迷惑になり、懇望仕り候とて相助け候儀、沙汰の限りに候、この上においても城中者ども御成敗なさるべく候といえども、両人に対しこの度は御免なされ候、これ以来かくのごとくの仕立においては、曲事たるべく候、しからば早々鉢形おもてへ押し詰め、景勝・利家相談じ取り巻き候て、様子毎日注進申し上ぐべく候、石田治部少輔差し遣わさるべく候あいだ、なおその節仰せ聞けらるべく候也、
なおもって小田原籠城の奴原、妻女姉妹などこれあらば、散在せざるように仕り、一所に集め置くべく候、最前仰せ聞けらるるごとくに候、御分別これある儀に候あいだ、その意をなすべく候以上、
(大意)
岩付の件、城兵の命を助け、城を請け取ったとの報告があった。派遣した使者には殲滅せよと申し渡したはずだが、その点は詮議するに及ばず、長吉・常陸介両名を赦した。成功したとは言えない結果に終わったが、それに異論はない。明け渡した城を請け取ることはもちろんのこと、岩付のことは町の境や城を突破し、本丸を残すのみだということで、城兵も困惑し、助命を願ってきたからと言って助命することなどとんでもないことである。この上は籠城している者はことごとく撫で斬りにすべきところだが、両名に対しては今回のことは目をつむることとする。今後こういうことをしたならば曲事である。早々に鉢形城へ向かい景勝・利家らとともに包囲し、その様子を毎日報告するように。三成をそなたたちの元へ遣わすからよく聞くようにせよ。
なお小田原城に籠もっている連中に、妻や姉妹がいたならば逃げ出さないように一ヶ所に集め置き、先に下知したとおり考えがあるので、そのようにせよ。
図. 岩付城と鉢形城周辺図

浅野長吉・木村常陸介両名が岩付城攻めにおいて、「女童部に至るまで一人も残さず、ことごとく成敗を加うべく候」という秀吉の命令に反して、城内に立て籠もる者を助命したことを秀吉が咎め立てしている。その上で今後二度とこういうことのないようにと石田三成を使者として派遣している。
「北条記」には小田原へ送られた「女童部」は磔刑に処せられたとある。もしこれが事実だとすれば、小田原城内への見せしめとして効果的だったろう。
*1:5月20日付3213号文書。「各城を請け取ったら早々に景勝・利家が苦戦している鉢形城の包囲に加わるように」という趣旨
*2:秀吉の意図、考え
*3:いのち
*4:約束を果たす。ここでは秀吉の殲滅命令に背き、長吉らが助命したこと
*5:タン
*6:この部分の意味ははっきりしない
*7:出城。ここでは二ノ丸、三ノ丸のこと
*8:岩付城に立て籠もっている兵士が困窮している
*9:助命を乞うこと
*10:「沙汰の限り」は文字通り論ずるに値する範囲であるという意味と、その正反対の「沙汰の限りにあらず」同様論ずる範囲を超えている、もってのほかであるの意味がある。ここでは後者
*11:しでかす
*12:武蔵国大里郡。下図参照
*13:上杉
*14:前田
*15:三成
*16:尊敬の助動詞「被」があるので三成から秀吉の趣旨を伝えるという意味
*17:天正18年、グレゴリオ暦1590年6月26日、ユリウス暦同年同月16日
*18:長吉