日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正8年9月28日某宛明智光秀書状を読む

 

 

当国指出之儀、聊□□□□□□□□然者、百姓前入上使直ニ糺明之儀申付候条、為届啓達候、有無之儀、急度可有返答候、今明中者可相侍候、恐々謹言、

 (天正八年)      惟任日向守

   九月廿八日         光秀(花押)

   (宛所欠)

       藤田ほか編『明智光秀』104号文書、101頁

(書き下し文)

当国指出の儀、いささかも□□□□□□□□しからば、百姓前上使を入れじかに糺明の儀申し付け候条、啓達届けさせ候、有無の儀、きっと返答あるべく候、今明中ははべるべく候、恐々謹言、

*当国:大和国

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                「国史大辞典」より作成 

*指出:天正8年9月、信長が大和国に指出=検地を命じ、滝川一益とともに光秀が上使として派遣された。9月26日付上掲書103号文書によれば、大和国の給人の知行を整理し、軍役を定めよと信長が命じ、また給人、寺社、荘園領主が指出を行う旨の朱印状が発給されている(奥野「織田信長文書の研究」898号文書)。ただ、朱印状は9月21日付金剛峯寺惣中宛の、大和国有智郡をあてがう旨のものしか残されていない。

なお「多聞院日記」天正8年9月26日条も参照されたい。(72コマ目)

国立国会図書館デジタルコレクション - 多聞院日記. 第3巻(巻24-巻31)

 

廿六日、当国中寺社・本所・諸寺・諸山・国衆、ことごとくもって一円に指し出し出すべきの旨、ことごとくもってあい触られおわんぬ、沈思〻〻

 

 

*百姓前:在地の年貢収納などを請け負う名主百姓層

 

*上使:上級者から上意伝達のため派遣される使者、ここでは一益、光秀。

 

*啓達:文書をもって申し上げる

 

*有無:指出を受け入れるか否か

 

*今明:今日明日

 

*侍る:かしこまってある席にいること

 

(大意)

大和国の指出のこと、少しも……。名主百姓に上使を派遣し直接不正をただすと、信長様にお伝えします。不正の有無を必ずご返答下さい。今日明日中は在地に留まるようにして下さい。謹んで申し上げました。

 

宛所を欠くが、おそらく寺社などの荘園領主や国人レベルの給人たちに対して発給されたものであろう。知行地をめぐって紛糾していた状態を、正常化し、そのうえで領主が指出を行うよう命じた。指出の実施においては在地へ上使を派遣することも示されている。