以上
当村之儀如前々此方江被返付候条、年貢等急
与可沙汰候、就者堺目事候間、諸役有間敷候、若
何かと申族有之候ハヽ可注進候也、
慶長三年
九月八日(前田利家印)
番田村
安田村
百姓中(加能越古文叢)
(書き下し文)
当村の儀、前々のごとくこの方へ返付され候の条、年貢などきっと沙汰すべく候、ついては堺目のことに候あいだ、諸役あるまじく候、もしなにかと申すやからこれあり候はば、注進すべく候なり、以上、
*堺目:石川郡と能美郡の郡境。当時石川郡は前田利家領、能美郡は丹羽長重領だった。石川郡は天正13年に前田利長移封により秀吉蔵入地、同15年丹羽長重領を経て、慶長3年前田家に戻った。
*諸役有間敷候:前田家が賦課する年貢所当ではなく、在地領主などが課する「徳分」と解する方が、前半の「年貢などきっと沙汰すべく候」、および後半の「もしなにかと申すやからこれあり候はば、注進すべく候」と齟齬が生じないと思われる。
*番田村、安田村:加賀国石川郡
「日本歴史地名大系・石川県」より作成
(大意)
当村の儀、以前と同様に前田家へ返されたので、年貢など必ず申し付けるであろう。そこは石川郡、能美郡の郡境であるので、諸役を免除する。もしさまざまな言いがかりをいう者が出た場合は必ず届け出なさい。以上。