日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正9年4月18日瀬野右近・東沢加賀守宛明智光秀判物写を読む

 

別院*1倉米*2以去年分之内、米六石六斗、六十□(六カ)人、中村*3、七石一斗、七十一人、安瀬(栖)里村*4、合拾三石七斗之事、亀山*5普請分者、片山兵内*6百姓人別*7為廿日飯米、可被相渡候也、仍如件、

  天正九年卯月十八日        光秀

    瀬野右近殿*8

    東沢加賀守殿*9

      

        藤田ほか編『明智光秀』105号文書、101頁

 

(書き下し文)

 

別院倉米、去年分のうちをもって、米六石六斗、六十六人、中村、七石一斗、七十一人、安栖里村、あわせて十三石七斗のこと、亀山普請分は、片山兵内百姓人別廿日飯米として、あい渡さるべく候なり、よってくだんのごとし、

 

(大意)

別院村から納めるべき蔵米昨年の分のうちから米六石六斗、六十六人分を中村へ、七石一斗、七十一人分を安栖里村へ、合計十三石七斗、亀山城の普請人足分として、片山兵内へ百姓ひとりあたり二十日分の飯米分を渡しなさい。以上。

 

 

6.6石で66人、7.1石で71人なので、ひとりあたり1日米1升となる。これが1日あたりなら多いのではないだろうか。

 

周辺図

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             「日本歴史地名大系」京都府より作成

 

 参照サイト:綾部市史中世編

http://ayabe-museum.org/sisi/tyusei.htm

*1:丹波桑田郡大野村周辺カ

*2:直轄地から光秀へ納むべき年貢米

*3:丹波、中村村は以下の通りで特定は不能だが、「和知ノ中村」カ

 郡名  肩書   村名  元禄郷帳の石高
桑田郡 六ケノ 中村  240.195
    出雲ノ 中村  420.977
    細川  中村  109.930
    弓削中村    330.650
    知井ノ 中村   32.833
    野々村ノ中村  133.622
船井郡 世木  中村  106.050
    胡麻  中村  103.703
    鎌谷  中村  262.894
    和知ノ 中村   93.668

*4:丹波国船井郡

*5:丹波国桑田郡

*6:武蔵片山郷出身者を祖先とする土豪

*7:百姓ひとりあたり

*8:未詳

*9:未詳