別院*1倉米*2以去年分之内、米六石六斗、六十□(六カ)人、中村*3、七石一斗、七十一人、安瀬(栖)里村*4、合拾三石七斗之事、亀山*5普請分者、片山兵内*6百姓人別*7為廿日飯米、可被相渡候也、仍如件、
天正九年卯月十八日 光秀
瀬野右近殿*8
東沢加賀守殿*9
藤田ほか編『明智光秀』105号文書、101頁
(書き下し文)
別院倉米、去年分のうちをもって、米六石六斗、六十六人、中村、七石一斗、七十一人、安栖里村、あわせて十三石七斗のこと、亀山普請分は、片山兵内百姓人別廿日飯米として、あい渡さるべく候なり、よってくだんのごとし、
(大意)
別院村から納めるべき蔵米昨年の分のうちから米六石六斗、六十六人分を中村へ、七石一斗、七十一人分を安栖里村へ、合計十三石七斗、亀山城の普請人足分として、片山兵内へ百姓ひとりあたり二十日分の飯米分を渡しなさい。以上。
6.6石で66人、7.1石で71人なので、ひとりあたり1日米1升となる。これが1日あたりなら多いのではないだろうか。
周辺図
「日本歴史地名大系」京都府より作成
参照サイト:綾部市史中世編