日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

2021-01-01から1年間の記事一覧

天正14年8月3日立花宗茂・高橋紹運宛豊臣秀吉判物

(包紙ウハ書) 「 立花左近将監とのへ*1 高橋主膳入道とのへ*2 」 対黒田勘解由*3・宮木入道*4七月九日書状到来候、抑九州事帯条目*5、豊*6・芸*7・薩*8江加下知*9候之処、義統・輝元令承伏、以和合之儀馳走尤神妙候、然而島津事至于筑紫領内*10相動、于今…

天正14年5月28日松浦鎮信宛豊臣秀吉判物

(包紙ウハ書) 「 松浦肥前守とのへ*1 」 将亦*2孔崔*3進上之儀、珍敷*4思召自愛*5候、并南蛮笠*6・象牙・猩々*7皮*8胴服*9、是又被悦思食候、以上、 三月十三日書状、今月廿六日到来候、抑九州之儀、対毛利*10・大友*11・島津*12、某々*13国分*14儀雖被仰…

天正14年5月13日太田資正宛豊臣秀吉朱印状写

三月十四日書状加披見候、家康*1事種々依懇望、誓紙*2・人質等堅相卜*3令赦免候、然者東国儀近日差遣使者、境目等之儀可相立*4候、若相滞族有之者、急度可申付候之間、可被得其意候、何茂*5不図為富士一見可相越之条、猶其刻可申候也、 五月十三日*6 (朱印…

天正14年4月19日佐竹義重宛豊臣秀吉判物

去月七日返礼到来遂披見候、仍会津*1与伊達*2累年鉾楯由候、①天下*3静謐*4処不謂*5題目*6候、早〻無事*7段馳走肝心候、②境目等事任当知行*8可然*9候、③双方自然存分於在之者、依返事可差越使者候、不斗*10富士可一見候条、委曲期其節候也、 四月十九日*11 (…

天正14年4月10日毛利輝元宛豊臣秀吉朱印状(分国置目覚)

覚 一、分国置目、此節可申付事、 一、簡要城堅固申付、其外下城事、 一、海陸役所*1停止事、 一、人数揃事、 一、蔵納申付、九州弓箭覚悟事、 一、豊前*2・肥前*3人質可取堅事、 一、門司*4・麻生*5・宗像*6・山鹿*7城々へ人数・兵粮可差籠事、 一、至九州…

天正14年4月10日小早川隆景・吉川元春・吉川元長宛豊臣秀吉朱印状

就大友入道*1上洛*2、九州分目*3相定候*4、遠境候条、彼国者共*5若令難渋者、可差下人数*6候間、右馬頭*7相談、此方城々丈夫*8可申付候、次人質*9事、入念可相渡黒田官兵衛尉*10候、猶具*11安国寺*12可被申候也、 四月十日*13(朱印) 小早川左衛門佐とのへ*…

天正14年3月21日豊臣秀吉知行方法度につき条〻写

本文書も写が2点伝わっているのみで原本の存在は今のところ確認されていない。しかしほぼ同文なので実際に発給されたと見てよいだろう。形式的には充所に受給人が記載されていない朱印状で、秀吉の家臣=「給人」に対して一斉発給したと考えられ、内容は1月1…

天正14年2月29日前田玄以宛豊臣秀吉朱印状写

①去年検地之在〻所〻山林炭竈*1等之事、不相残遂糺明、年貢以下相改*2可申付*3候、②知行之外たる上者、誰〻*4ニ扶持*5候雖為在所内、其領主*6聊不可違乱*7*8也、 天正十四 二月廿九日 御朱印 民部卿法印*9 (三、1858号) (書き下し文) 去る年検地の在々所…

天正14年2月15日一柳直末宛豊臣秀吉朱印状(後)

(承前) ①一、普請衆数千人の内に馬十疋をき*1候て、使あるき*2につかふへし、其外の馬は在所*3へ可返事、 ②一、ろし*4とをり候とて、大石もちにハ何たるものもかたよる*5へき事、 ③一、下〻酒にゑい*6、くちからかひ*7有之といふともとらへ*8可出之*9、若…

天正14年2月15日一柳直末宛豊臣秀吉朱印状(前)

今回も長いが、大坂城普請に駆り出された者たちの実態をうかがえるので2回に分けて読んでみたい。ほぼ同文のものが23日加藤嘉明*1、蜂須賀家政*2宛に発給されている。 定 ①一、石場*3をせんさき*4にとり、石にかきつけ*5有之といふとも不可用*6、持次第*7た…

天正14年1月19日加藤嘉明宛(カ)豊臣秀吉定写(4/止)  

①一、其国〻其在所堤以下あらは、正月中農作に手間不入折から可加修理、但其堤大破之時、給人百姓不及了簡*1者、達(闕字)上聞為(闕字)上可被仰付事*2、 ②一、小袖御服*3之外ハ絹うら*4たるへし、但俄には不可成之条、ともうら*5の事、四月一日わたぬき*6…

天正14年1月19日加藤嘉明宛(カ)豊臣秀吉定写(3)

①一、百姓年貢をはゝみ*1、夫役以下不仕之、隣国他郷へ相越へからす、もし隠置輩にをいては、其身事ハ不及申、其在所中曲事たるへき事、 ②一、其国その在所給人*2、百姓等諸事不迷惑*3之様令分別、年貢をも全取候やうに可申付之、代官*4以下に不任、念を可入…

天正14年1月19日加藤嘉明宛(カ)豊臣秀吉定写(2)

今回は百姓との接し方の部分をとりあげる。この文書はあくまで家臣宛であって、百姓や郷村に直接発給したものではない。給人としての心構えを説いたものであることは常に注意する必要がある。 一、①百姓その在所に在之田畠あらすへからす、其給人その在所へ…

天正14年1月19日加藤嘉明宛(カ)豊臣秀吉定写(1)

天正14年1月19日、秀吉は家臣宛に十一ヶ条からなる定書を発した。奉公人や百姓をどう扱うべきか定めた長大な朱印状である。もっとも今のところ原本は見つかっておらず、写が5通ほど残されているだけである。しかしいずれもほぼ同文であることから、この文書…

天正14年1月6日加藤清正宛豊臣秀吉領知充行状および御蔵入目録写

今回より天正14~16年を扱う第三巻に入る。 (史料1) 天正14年1月6日加藤清正宛豊臣秀吉領知充行状 播州餝*1東郡内下野田三百石事、為加増令扶助訖、全*2可領知者也、 天正十四 正月六日(朱印) 加藤主計頭とのへ*3 『秀吉文書集三』1832号、2頁 (史料2) 天…

天正13年12月20日施薬院全宗宛豊臣秀吉朱印状

白川郷*1雖可有検地、増米*2出之、定請*3令懇望候条閣*4之候、然者諸入方*5一切不可出候也、 十二月廿日*6 (朱印) 施薬院*7 『秀吉文書集二』1771号、2936頁 (書き下し文) 白川郷検地あるべしといえども、増米これを出し、定請懇望せしめ候条これをさしお…

天正13年12月20日佐野宗綱宛豊臣秀吉判物写

『秀吉文書集二』は「栃木県庁採集文書」から「写」を収載しているが、『大日本史料』第11編10冊および24冊「補遺」に収載された翻刻文は原本のように見え、同文書群に原本が含まれているのか否か判断に迷うところである。 ところで秀吉文書集1770号には、『…

天正13年12月7日大友義統宛豊臣秀吉判物写

霜月十一日之書状、当月七日到大坂披見候、然者義統*1筑後表江在陣之処、先年信長*2以下知*3、其方与島津*4和談有之処を相破、義統分国中江乱入之由、不及是非候、就夫味方中令迷惑付而、其方手間如何之由候之条、四国・西国*5人数申付、可遣相極候処、島津…