日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正14年2月29日前田玄以宛豊臣秀吉朱印状写

 

 

去年検地之在〻所〻山林炭竈*1等之事、不相残遂糺明、年貢以下相改*2可申付*3候、知行之外たる上者、誰〻*4ニ扶持*5候雖為在所内、其領主*6聊不可違乱*7*8

  天正十四

   二月廿九日  御朱印

      民部卿法印*9

 

(三、1858号)

 (書き下し文)

 

去る年検地の在々所々・山林・炭竈などのこと、相残らず糺明を遂げ、年貢以下相改め申し付くべく候、知行のほかたる上は、誰々に扶持候在所内たるといえども、その領主いささかも違乱すべからざる(もの)なり、

 

(大意)

 

去年検地した村々や山林、炭竈などのことは残らず調べ上げ、すべてを掌握した上で天下に号令しているである。この秀吉によって知行を充て行われた者以外は、たとえ「誰それ」に与えられた土地であろうと、「誰それ」によって「領主」扱いされた者が異議申し立てすることは認めない。

 

 

 

①では、昨年検地した郷村はもとより山野や炭焼き小屋にいたるまで、軍門にくだった土地は「相残らず」秀吉の掌握するところとなったと宣言している。「糺明を遂げ」には村々の境界争いも「解決した」という自負もあるのだろう。もちろんこの文言がただちに、秀吉勢力下の村々はもちろん山野や炭竈にいたるまで現実に掌握していたこと、郷村間のさまざまな争いを解決したことを意味するものではない。しかし「空間=領域を全面的に支配した」と「あるべき姿」を宣言した点では天正18年8月12日浅野長吉宛朱印状の有名な一節「山の奥、海は櫓櫂の続き候まで」(どんなに山奥であろうと、いかなる絶海の孤島であろうと六十余州すべて検地を行う)*10を彷彿とさせるところがある。

 

②は秀吉以外の者の知行充行権を一切認めない、あらゆる領主的土地所有権は秀吉に属すると述べている。関白とは「天下を関(あずか)り白(もう)す」意味で「自身こそが関白にふさわしい」と当時の関白二条昭実に迫ったように*11、「叡慮(天皇の意思)によって」という意味も含まれるかもしれないが、いずれにせよ領主権的土地所有権を一元的・排他的に掌握するのは秀吉のみであると述べており、複雑で重層的な荘園制的土地所有体系の体制的否定をここに宣言した。

 

秀吉は空間的・領域的にも(①)、土地所有権という点でも(②)一元的に支配する、すなわち二重の意味において「一職支配」=中世的土地所有体系の解体をめざすと言明したのである。

 

昨年冬の検地で荘園領主である公家たちが検地を行う者たちに金銭を送ったり、前田玄以を通じて秀吉に大目に見てくれるよう申し入れたり検地を妨げる動きがあったことなどが念頭にあったのかもしれない。そうした現状に対して、秀吉が土地をどのように掌握しようとしたのかを明らかにした文書で、その意味において歴史的に重要であると位置づけられる。

 

*1:木炭を焼く竈

*2:調べて、精査して

*3:命ずる

*4:秀吉以外の誰か

*5:与えられた

*6:「誰〻」に土地を「扶持」され「領主」となった者

*7:とやかく言うこと、秩序を乱すこと

*8:「者」脱カ

*9:前田玄以

*10:四、216頁、3383号

*11:こちらを参照されたい 

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