日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正14年5月28日松浦鎮信宛豊臣秀吉判物

 

 

(包紙ウハ書)

 

「    松浦肥前守とのへ*1  

 

 

   将亦*2孔崔*3進上之儀、珍敷*4思召自愛*5候、并南蛮笠*6・象牙・猩々*7*8胴服*9、是又被悦思食候、以上、

 

三月十三日書状、今月廿六日到来候、抑九州之儀、対毛利*10・大友*11・島津*12、某々*13国分*14儀雖被仰付候、其方儀者先年書状等差上、懇被申越候之条、人質以下如御存分*15於進上者、進退*16之儀無別条様、各へ可被仰出候間、心安可存候、猶尾藤左衛門尉*17可申候也、

 

  五月廿八日*18 (花押)

 

      松浦肥前守とのへ

 

(三、1897号)

 

(書き下し文)

 

三月十三日書状、今月廿六日到来候、そもそも九州の儀、毛利・大友・島津に対し、某々国分の儀仰せ付けられ候といえども、その方儀は先年書状など差し上げ、ねんごろに申し越され候の条、人質以下御存分のごとく進上するにおいては、進退の儀別条なきよう、おのおのへ仰せ出さるべく候あいだ、心安く存ずべく候、なお尾藤左衛門尉申すべく候なり、

 

はたまた孔崔進上の儀、珍らしく思し召し自愛候、ならびに南蛮笠・象牙・猩々皮胴服、これまた悦ばれ思し食し候、以上、

 

(大意)

 

三月十三日付の書状、今月二十六日に到着しました。そもそも九州の国分は毛利・大友・島津に対するもので、誰それの領国であると秀吉から仰せつかったとしても、そなたは以前より書状等を差し出し、誠意を持って誼を通じてきていますので、人質等こちらの企図するとおり進上するなら所領の件はこれまでと変わりなく命じますのでご安心ください。詳しくは尾藤知宣が申し上げます。

 

さて、お贈り下さった孔雀大変素晴らしく、大切にしています。南蛮帽や象牙、羅紗の胴服も大変気に入っております。以上。

 

 Fig. 肥前国松浦郡周辺図

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                     「肥前国」(『国史大辞典』)より作成

本文書は下線部の通り、このたびの国分=秀吉による国郡境目相論の裁定、国境の再画定は毛利・大友・島津を対象としたもので、松浦鎮信は以前から恭順する意思を明確にしているので心配には及ばないと書き送ったものである。

 

松浦鎮信はこの2年前、イスパニア国フィリピン諸島長官宛に書翰を送っている*19。文面には「貴下(フィリピン諸島長官のこと、引用者註、以下同じ)またはイスパニア王の命に応じ、いかなることにてもなさんと欲すること、ならびに当領内に来たるべきイスパニア王の臣民に対し陛下(イスパニア王)に対する行為を示さんとすることを告ぐ」とフィリピン諸島長官ならびにイスパニア王の要請にはどのようなことにでも応じると記されている。その甲斐あってか本文書にあるように南蛮渡来の品やアフリカ産と思われる象牙などを得ていたらしい。ちなみに西アフリカの「コートジボワール」(Côte d'Ivoire)は1980年代まで日本ではそのものずばり「象牙海岸共和国」と呼ばれていた。英語では「Republic of Côte d'Ivoire」と英仏混淆表記である。現在象牙やクジラなどはワシントン条約により原則として輸出入が禁じられている。

 

*1:鎮信。肥前国松浦郡を本拠とする戦国大名。下図参照

*2:ハタマタ

*3:

*4:メズラシク。すばらしい、結構な

*5:大切に扱うこと、またそれに値するもの

*6:つばの広いフェルト製の帽子。南蛮帽・南蛮頭巾ともいう

*7:ショウジョウ。想像上の動物で酒好き、あるいは人間に似ている海獣とされる

*8:猩々緋色、RGB値で(206,49,61)、(231,0,29)、(226,4,27)など。ただし同じ「猩々緋色」でもRGB値により色合いは異なる

*9:羅紗(raxa=「ラーシャ」ポルトガル語で毛織物の一種)でできた服

*10:輝元

*11:義統

*12:義久

*13:ナニガシカガシ・ナニガシソレガシ・ナニガシクレガシ。不特定の人物を表す「誰それ」

*14:クニワケ。戦国大名間で取り交わされる領土協定や豊臣政権による領土確定を当時「国分」と呼んだ。豊臣政権は大名間の交戦を「私戦」として否定し国郡境目相論の裁定を独占的に行った。cf.「惣無事」

*15:秀吉の考え

*16:所領

*17:知宣。石田三成の義父

*18:天正14年

*19:『大日本史料』第11編7冊、595~597頁。原文書を所蔵している「西班牙国(スペイン・イスパニア。「イスパニア」の方が原音のEspaña「エスパーニャ」に近い)セビーヤ市インド文書館」の「セビーヤ市」とはSevillaのこと。日本では通常「セビリア」と呼ぶがサッカーチームにだけはなぜか「セビージャ」を使う。スペイン語では「セビーヤ」がもっとも近いらしい。また「インド文書館」とあるのは「インディアス古文書館」のことで南北アメリカ大陸およびフィリピンの植民地経営に関する文書を所蔵しており、歴史的建造物でもあることから1987年ユネスコ世界文化遺産に登録されている。「インディアス」とはカリブ海に浮かぶ西インド諸島、南北アメリカおよびフィリピン諸島の総称。そのため先住民を「インディアスの人々」=「インディオ」と呼んだ。ちなみに「ロス・インディオス」(Los Indios)は英語風にいえば「The Indians」で「先住民たち」・「インド人たち」を意味する。「インディアス」はもともとインドや南アジア、東アジアの広い範囲を指す概念で日本も含まれており、「東インド会社」の「東インド」に近い地理的概念である。日本の「天竺」、「南蛮」同様時代により指す範囲が大きく異なる