日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正14年1月19日加藤嘉明宛(カ)豊臣秀吉定写(3)

 


一、百姓年貢をはゝみ*1、夫役以下不仕之、隣国他郷へ相越へからす、もし隠置輩にをいては、其身事ハ不及申、其在所中曲事たるへき事、


一、其国その在所給人*2、百姓等諸事不迷惑*3之様令分別、年貢をも全取候やうに可申付之、代官*4以下に不任、念を可入、次対百姓等、若いはれ*5さる儀を申懸やから*6あらは、其給人可為曲事事、


一、升之儀、十合の斗升*7を以て有様にはかり、以左右手壱可打、うち米*8ハ壱石につゐて十合の以小升*9可為弐升*10、其外一切役米*11有へからさる事、

 

(書き下し文)

 

 

一、百姓年貢を阻み、夫役以下これを仕らず、隣国・他郷へ相越すべからず、もし隠し置く輩においては、その身のことは申すに及ばず、その在所中曲事たるべきこと、


一、その国・その在所給人、百姓ら諸事これを迷惑せざるよう分別せしめ、年貢をもまったく取れ候ようにこれを申し付くべし、代官以下に任せず、念を入るべし、次いで百姓らに対し、もし謂われざる儀を申し懸くる族あらば、その給人曲事たるべきこと、


一、升之儀、十合の斗升をもって有様にはかり、左右の手をもってひとつ打つべし、散米は壱石について十合の小升をもって弐升たるべし、そのほか一切役米あるべからざること、

 

(大意)

 

一、百姓が年貢納入を拒み、陣夫役なども勤めず、他郷や他国へ罷出ることは禁ずる。もし、彼らを匿った場合、匿った者はいうまでもなく、その郷村全体の曲事とする。

 

一、国や郷村を充て行われた給人が、百姓を困らせることのないよう配慮し、年貢を完納するようにしなさい。代官など家臣たちに任せず、直接支配するよう念を入れなさい。次に、百姓たちに対して正当な理由のない言いがかりをつけた者が現れたなら、給人の責めとする。

 

一、升は、十合の斗升を用いて不正のないよう量り、左右の手で升を一回叩き、均しなさい。散米は1石につき10合の小升で2升とする。そのほかの名目で米を徴収しないこと。

 

 

 

まず③から説明する。現在米は重量で量るようになったが、これは20世紀後半のことで古くから米は容積(斛/石・斗・升・合・勺・才。あるいは俵)で量るものだった。お菓子の「詰め放題」などに見られるように容積は詰め方の工夫次第である。秀吉はこの難点を「解決」すべく升を叩いて米を均一にせよと命じたのである*12

 

「うち米」は領主にとっては「保険」でもあり「余禄」にもなりうるが、百姓にとっては恒常的な負担である。

 

 ①は百姓に対して直接命じるような文面であるが、つづく②と③が家臣に対して命ずる内容であることや充所が郷村でない点を考慮すると、「このように百姓に申し聞かせよ」あるいは「制札にして掲げよ」という意味に解する方がよさそうである。

 

百姓が逃散する状況下にあったことは、前年の天正13年3月19日片桐貞隆宛朱印状*13、同日宮木豊盛・森吉政宛朱印状写*14において「(山城・近江)検地出米百姓ら過半逃散の由に候、いかがの子細候か」と厳しく叱責しているとおりである。

 

②も同様に年貢を完済させるため、百姓を労るよう注意している。秀吉の家臣たちは領国経営など領主としての経験が少ないので、指針を秀吉が示したのであろう。しかし、百姓に無理難題を突きつけた際は、給人自身の行為であろうとその家臣(秀吉の陪臣)によるものだろうと責めは給人にあると定めた。この路線は徳川期にも継承されている。

 

 

*1:沮み・阻み。拒否する

*2:秀吉の直臣

*3:困惑する

*4:「給人」の代官

*5:謂れ

*6:族・輩

*7:通常「斗升」は1斗を量る升の意だが、ここでは10合を1升とする升を指す。当時は13合を1升とする「十三合升」など十進法によらない升も多かった

*8:散米。俵の編み目からこぼれ落ちる分をあらかじめ余計に徴収する

*9:1斗を量る「大升」に対し、10合を1升とする「一升升」≒1.8リットルを「小升」と呼んだ。「十合の斗升」と同義

*10:「うち米」は1石あたり2升(2%)とするの意

*11:さまざまな名目で徴収する米

*12:新人運転手に急発進・急停止を繰り返すと満員電車にも隙間ができると、ベテランが升に盛られた米を片手に指導している四コママンガがあった

*13:1355号

*14:1356号