日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正14年3月21日豊臣秀吉知行方法度につき条〻写

本文書も写が2点伝わっているのみで原本の存在は今のところ確認されていない。しかしほぼ同文なので実際に発給されたと見てよいだろう。形式的には充所に受給人が記載されていない朱印状で、秀吉の家臣=「給人」に対して一斉発給したと考えられ、内容は1月19日朱印状の趣旨をより徹底するものになっている。

 

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     条〻


一、知行方法度*1之儀、最前被相定*2といへ共、重(闕字)仰出され候、所務*3之事、給人百姓相対せしめ可納所若損免*4出入*5有之*6以立毛上三分一百姓ニ遣之、三分二給人可召置事、  


一、土免*7乞候百姓於有之者曲事たるへし、若遣之者給人共ニ可為同罪事


付、立毛*8作来田畠あけ*9候百姓有之*10、曲事たるへき事、


一、他郷へ罷越候百姓あらハ、其身之事者不及申、相かゝへ*11候地下人共曲事たるへき事


右条〻違犯之輩あらハ速可処罪科者也、


   三月廿一日*12   御朱印

(三、1864号。なお1865号も参照されたい)

(書き下し文)

 

      条〻


一、知行方法度の儀、最前相定めらるるといえども、かさねて仰せ出され候、所務のこと、給人百姓と相対せしめ納所すべし、もし損免出入これあらば立毛の上をもって三分一百姓にこれを遣わし、三分二給人召し置くべきこと、  


一、土免乞い候百姓これあるにおいては曲事たるべし、もしこれを遣わさば給人ともに同罪たるべきこと、


つけたり、立毛作り来たる田畠上げ候百姓これあらば、曲事たるべきこと、


一、他郷へ罷り越し候百姓あらば、その身のことは申すに及ばず、相抱え候地下人とも曲事たるべきこと、


右の条〻違犯の輩あらば速やかに罪科に処すべきものなり、

 

(大意)

 

     条々

 

 一、知行所支配の法度については先日触れたとおりであるが、かさねて命ずるものである。年貢の納入においては給人が百姓に直接相対して行うようにすること。もし年貢減免などでトラブルが生じた場合、実り具合をよく見極めた上で三分の一を百姓に、三分の二を給人が取るようにしなさい。

 

一、土免を願い出る百姓は曲事であり、またこれに応じた給人も同罪である。

 

つけたり、稲などを収穫する前に田畠を放棄する百姓は曲事とする。

 

一、他郷へ出奔した百姓はその者自身はもちろん、匿った者ともども曲事である。

 

右の条々に背いた者は速やかに処罰する。

 

 

 ①は1月19日に出された「知行方法度」についてかさねて「仰せ出された」と述べている。「知行方法度」と秀吉自身が呼んでいるように、1月19日付のものも本文書も郷村や百姓に対しての法度ではなく、領主として百姓にどう接すべきか、知行=支配の方法を家臣たちに説いた文書である。その点は⑤の「給人ともに同罪たるべきこと」とあることからも確認できる。給人が守るべき法度、百姓に読み聞かせ、守らせる法度である。「給人、百姓と相対せしめ」とあるように、給人=領主と百姓の関係は「顔の見える」人格的関係であり、その点は中世的性格を色濃く残していたといえる。近世社会の特徴のひとつである、文書を媒介とする村の支配はまだ見られない。

 

こうした年貢徴収法を細かく定めたものに「六角氏式目」(永禄10年=1567)がある。二ヶ条ほど見ておこう。

 

 

 

一、野事・山事・井水の事*13、先条*14に准ずべし、ただし一庄一郷打ち起こり楯鉾*15に及ぶにおいては、科人交名を指し*16、これを申すといえども、聞こし召し入れらるるべからず、一庄一郷へその咎相懸けらるるべきこと、

 

 

一、損免のこと、庄例郷例ありといえども、先々次第棄破せられおわんぬ、自今以後においては、所務人*17・地主・名主・作人など立ち相い、内検せしめ、立毛に応じてこれを乞い、これを下行*18あるべし、もし立毛これを見ず刈り執り、損免申す族これあるといえども、限有*19年貢減少せず、ことごとく納所あるべし、(以下略)

 

『中世法制史料集 第三巻 武家家法Ⅰ』261頁
 
 

 

⑦では、山野や水など資源を求めて庄や郷をあげての「楯鉾」つまり合戦に及ぶ百姓たちの行為を禁じたもので、豊臣・徳川政権にも継承された。また庄や郷全体の責任とした点もまったく同様である。

 

⑧も本文書と同じ内容である。年貢を徴収する荘官や地主・名主など有力農民、作人など一般農民が立ち会い、よく吟味して実り具合に応じて「下行」=年貢減免を行うよう指示している。

 

六角氏式目はこの二ヶ条を含めて、全67ヶ条中その6分の1にあたる十数ヶ条にわたって年貢徴収について事細かに定めていて、秀吉はこれをなぞっただけとも言えるくらいである。もちろん六角氏式目は冒頭に「当国一乱已後、公私意に任せず、猥りの輩ご成敗たるべく条々」とあるように、危機的状況で編まれたという点には注意する必要がある。それでも「公私意に任せず」と恣意的な裁定を行わないと宣言している点は重要である。

  

④の「土免」はこの「立毛の上をもって」ではなく、地味によりあらかじめ年貢率・年貢量を固定する方式をいう*20。実際の収穫具合を見て年貢納入量を決めるのは合理的である反面、役人の派遣といった費用が嵩む上、役人が礼銭礼物などを受け取る「不正」の温床となるなどデメリットも大きい。秀吉はあらゆる土地とその果実をすべてにおいて把握することを目指したが、コスト負担の大きい全面掌握を必ずしも家臣たちは望まなかったのかもしれない。⑤に「もしこれを遣わさば給人ともに同罪たるべきこと」とあるように秀吉家臣が土免を行った可能性も十分ある。

 

六角氏式目も秀吉のこの法度もともに近世的な側面を打ち出しつつ、一方で人格的支配従属関係の維持強化に努めるなど中世的側面をも併せ持つキメラのようなものであった。

  

*1:法令や命令。「法度」が公権力の制定法を指すようになったのは戦国大名の分国法以後である

*2:同年1月19日朱印状

*3:「所務」はもともと土地所有に関する訴訟を意味したが、1603年刊行の「日葡辞書」には「年貢の取り立て」とあり、用例として「所務する」というサ変動詞を挙げている

*4:自然災害などで年貢を減免すること

*5:揉めごと、争い

*6:「者」脱カ

*7:「ツチメン」または「ドメン」。土壌の好悪により年貢率・年貢納入量を一定に固定する徴租法

*8:収穫前の米や麦

*9:「上げる」、収穫を放棄する・中止する

*10:「者」脱カ

*11:抱え。匿う、庇護する

*12:天正14年

*13:山野や用水の利用をめぐる争いごと

*14:喧嘩・闘諍・打擲・刃傷・殺害などにおいて父や子を討たれたとしても報復せず注進するよう命じた箇条。加勢した者も罪の軽重により罰するとし、私闘や私刑(リンチ)を禁じている。「リンチ」とは法的手続きによらず私人や私的団体が制裁を加えること、とくに処刑することを意味するが、現在は幅広く加害行為一般を指すことが多い。管見の範囲ではほとんどがアメリカ・バージニア州のCharlse.Lynchの私刑に由来するとするが、一点のみ同じくバージニア州のWilliam.Lynchに由来するとするものもあり、はっきりしない

*15:合戦

*16:「あいつが先に手を出した」といっても

*17:年貢納入の責任者・荘官

*18:米銭を領主が百姓などに与えること。ここでは年貢を減免すること

*19:「現有」カ

*20:ただし収穫は土地の良し悪しのみによって決まるわけではなく、労働の投入具合によっても左右される。日本の伝統的農業は、単位面積あたりの土地に投入する労働量も収穫量も多い土地集約型といわれてきた