日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

考えるな!覚えろ!! 歴史教科書掲載用語軽減への反応に通底するもの

1994年高等学校社会科で世界史が必修化された。その事情はたしか以下のような話だったと思う。

 

「最近西洋史の講義でナポレオンの話をすると酒のことだと勘違いする学生が多くて困る」この発言の主はドイツ近現代史の大物でその後国会議員に選ばれ、数年後から指導要領を改訂することに決まった。

 

 

正確なことはまったく確認していないが、当時はこう説明されていた。数年後のことなど当事者はまだ小学生なので異論を挟む余地はなかっただろうし、大人の間でもとくに異論は見られなかったと思う。

 

問題化したのは2000年代の履修偽装の発覚を待たねばならないが、決定当時こういったことは予想されていなかったのか、気になるところである。

 

 

今回「史料批判」という概念が掲載候補に挙がっているが、今のところこれに対する目立った反応は見られない。歴史学の根本中の根本であるにもかかわらず、である。いったい歴史学をどのような学問、営みであると認識しているのかを浮き彫りにしているように思われてならない。

 

 

高校教科書にも「郡評論争」という囲み記事が掲載されていた。大化改新の詔の次の部分が問題の箇所である。

 

初修京師置畿内国司郡司関塞斥候防人駅馬伝馬及造鈴契定山河

 

(書き下し文の一例)

はじめて京師をおさめ、畿内国司・郡司・関塞・斥候・防人・駅馬・伝馬を置き、および鈴・契をつくり、山河を定めよ

 

 ここで「郡司」とあるが、発掘された調などにつける荷札としての木簡には「○○国××評△△郷」とあり、同時代史料に「郡」という表記法が見られなかったことが明らかにされた。

 

これが歴史学の手法なのであるが、教科書本文に記載されることはまれで、用語をひたすら覚えることだけが目的となる。

 

歴史とは「考えるものではなく覚えること」という「原則」が初等中等教育を通じて形成されていく。

 

 

さて、この用語軽減の提言が「高大連携教育」という文脈でなされたという点を見過ごしている向きも多い。最近SNSで大学教員が「理解する過程を飛ばして結論を急ぐ学生が多い」と嘆く場面を目にすることが多い。まあ最近に限ったことではないのだろうが、考察抜きに結果を覚える習慣は12年間かけて形成されたものだから、それを放棄することは容易ではないだろう。しかし、高等教育ではそれがたとえ車輪の再々発明であっても、自身が考え抜いて導き出した結論や過程を他の人々に説明することが要求される。これが学問であり、高等教育固有の目的である。この点を踏まえず、やれ誰を入れろ、誰は要らないと結論を急ぐのはあまり意味があるとは思えないのだ。