日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

2017-01-01から1年間の記事一覧

豚に歴史がありますか?百姓に歴史がありますか?

1980年代、村落史研究で著名な中村吉治氏のインタビューがある雑誌に掲載された。そこで自身が卒論のテーマについて相談した時の話が披露された。 彼はのちに土一揆や農政関係の著書を刊行することになるのだが、そのテーマとして農民について書きたいと指導…

海外で見た合字について

20年前の1997年、香港への旅行がブームになった。イギリスから中国へ返還されるため、イギリス統治時代最後の姿を見届けたいという事情による。 さてわたしも例に漏れず、行ってみた。当時は着陸直前大きく右へ旋回するというもっとも着陸の難しい空港のひと…

元号についてひとこと

日本史を勉強する上で元号は避けて通ることはできない。ただ読み方が必ずしも一様ではないことは知っておいた方がよいと思う。 戦国期の「天文」は「てんもん」派と「てんぶん」派に分かれる。日本語入力で右に出るものはいないJ社のソフトAでは「てんぶん」…

天正3年5月26日細川藤孝宛織田信長黒印状を読む  再訂正

肝心なことを忘れていたが、「京都并江・越儀ニ付而」の「京都」とはもちろん足利義昭のことである。

天正3年5月26日細川藤孝宛織田信長黒印状を読む 訂正

japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com 一カ所訂正したい。 「京都并江・越儀ニ付而、手前取紛候刻、信玄入道構表裏、忘旧恩恣之働候ける」の「江・越儀」とは浅井長政(近江)と浅倉義景(越前)が反信長に動き、それに乗じて信玄が織田との和議を…

天正3年5月26日細川藤孝宛織田信長黒印状を読む

前回に続き長篠合戦直後に発給された信長の文書を読む。 (五一二)天正3年5月26日長岡藤孝宛織田信長黒印状 去廿一日合戦之儀ニ付而、被申越候、如相聞候、即時切崩、数万人討果候、四郎首未見之候、大要切捨河へ漂候武者若干之条、其内ニ可有之歟、何篇、…

天正7年4月19日付築山殿宛武田勝頼書状を読む

「おんな城主直虎」に出てきた武田勝頼から築山殿に宛てた文書を読んでみよう。 (包紙ウハ書) 「築やま 殿 かつ頼 まゐる 」 (中略) いたすへく候、宜しくなか・・・ されへく候、かへす(くの字点)御物入・・・ 候あひた、御ひ見のうへ干火中・・・ 入…

長篠合戦当日発給細川藤孝宛織田信長朱印状を読む

長篠合戦については近年発掘調査なども行われ、見直しがされるようになった。そこでここで信長自身がこの合戦をどのように語っていたか、発給文書から読んでみたい。 秀吉が本能寺での出来事を知った直後、諸将に「信長は脱出して無事である」というニセの情…

年未詳7月18日大久保伝十郎・本多光信宛徳川信康書状写を読む

『愛知県史資料編11織豊1』に徳川信康(松平信康)書状写が掲載されているので今回はこれを読んでみる。同県史によればこの文書は要検討であるものの信康発給文書がこの一通のみなので掲載するとある(840頁)。 一六一三 徳川信康書状写 満性寺文書 以一札…

天正6年11月12日松平(徳川)信康発給文書を読む

松平(徳川)信康発給文書は、東京大学史料編纂所「日本古文書ユニオンカタログ」データベースおよび「大日本史料総合データベース」によれば写のみ2点残されている。そのうち、天正6年と推定されている11月12日付のものを読みたい。 覚 一、東者調へ道際境…

天正18年8月9日豊臣秀吉朱印状写「奥州会津御検地条々」(一柳文書)を読む

前回、「一昨日如被仰出候、斗代等之儀、任御朱印之旨:8月10日『奥州会津御検地条々』写(一柳文書)の趣旨」としてお茶を濁した史料を読む。 秀吉の検地に懸ける意気込み 「一郷も二郷も撫で切りにせよ」 その2/止 - 日本史史料を読むブログ 一次ソースま…

ドラマ「アシガール」の手配書を読んでみる 

話題になっている手配書を読んでみる。画像はこちらから。 http://pbs.twimg.com/media/DMpz85UUQAASRB2.jpg:small 手配書 梅谷村足軽唯之助 (似顔絵) 右者高山方と内通之疑有之候故、取締 方目下探索ニ及候也、見附候者ハ即刻 届可申事、應分之褒美被取候…

秀吉の検地に懸ける意気込み 「一郷も二郷も撫で切りにせよ」 その2/止

今回は有名な天正18年8月12日浅野長政宛豊臣秀吉朱印状を読む。 尚以、此趣其口へ相動衆、不残念を入可申届候、返事同前ニ可申上候也、 態被仰遣候、 一、去九月至干会津、被移御座、御置目等被仰付、其上検地之儀、会津者中納言、白川同其近辺之儀者、備前…

新発見 堀尾吉晴の息子忠氏発給文書を読む

前回読んだ秀吉文書の宛所にあった堀尾吉晴の息子忠氏発給文書が発見された。 www.sankei.com www.yomiuri.co.jp 画像は毎日新聞による。 https://mainichi.jp/articles/20171027/ddl/k32/040/418000c 知行方之目録 八百六拾石之内 出東郡 一、四百参拾石 宇…

新発見 本能寺の変から2ヶ月後の秀吉発給文書を読む???

2017年10月26日、秀吉発給文書新発見のニュースが飛び込んできた。本能寺の変から2ヶ月後の京都支配に関するものだという。 www.yomiuri.co.jp www3.nhk.or.jp そこでここで読んでみることにした。 ところで信長を「上様」と呼ぶことについてはすでに当ブロ…

秀吉の検地に懸ける意気込み 「一郷も二郷も撫で切りにせよ」 その1

小田原の後北条氏を平定した1ヶ月のち、秀吉はこんなことを述べている。 書状之旨、於小田原披見候、出羽奥州其外津軽果迄も百姓等刀武具駈、検地以下被仰付、伊達山形初而足弱共差上、被明御隙候付而、従会津今日当城迄被納御馬候、然者、為迎吉川中務少輔…

ファミリーヒストリー 壇蜜家文書を読む

古文書という副題に興味をそそられ、ここで読んでみることにした。番組のナレーションは聴いていないので、詳しいことはそちらに任せるとして翻刻だけ試みたい。 FIG.1 於江戸表御軍用 御備被成下度 御紋付羽二重此原 御幕令献上、御時節柄 御用ニ相立、彼是…

訂正 というより言い訳

どうも読み方を誤ったようだ。時代劇の見過ぎがいかによくない影響を及ぼすのか今回ほど身に染みたことはない。前回のブログ中で「其方」を「そのほう」と読んでしまったが、「そち」あるいは「そなた」と読むべきかも知れない。 japanesehistorybasedonarch…

書状の年次比定が変更される事例 木下藤吉郎秀吉発給文書をめぐって

先日以下の記事を書いた。 japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com そこで木下藤吉郎秀吉と名乗る文書を東京大学史料編纂所のデータベースで検索してみると、天正3年とされる文書を見つけた。 余談だがそれぞれのデータベースの仕様が異なるのか、ひ…

2015年7月10日報道の木下藤吉郎秀吉発給文書を読む???

2015年7月に報道された新発見秀吉発給文書は残念ながら名古屋市立博物館編『豊臣秀吉文書集1(永禄8年~天正11年)』(2015年2月)に間に合わなかった。そこでここで読んでみることにしたい。 まず前半部分の写真を掲載したのは毎日新聞だけだった。記事はす…

石田三成島津分国検地掟写を読む その9/止

今日で全11条を終える。 一、川役の事其むらゝ ゝニて見斗、年貢相定可申事、 已上 石田少様 在判 文禄三年七月十八日 薩州奉行中 (書き下し文) ひとつ、川役のことそのむらむらにて見計らい、年貢あい定め申すべきこと、 *川役:川にかかる年貢や運上。 …

石田三成島津分国検地掟写を読む その8

第9、10条を読む。なお今回より長浜市立長浜城歴史博物館(『石田三成第二章』(2000年)から引用する。 一、其村々々ニて庄屋・肝煎此両人居やしき斗可相除事、 一、樹木之類何も今迄之地主・百姓進退たるへし、公方へ上り物ニて在之間しく候事、 (書き下…

大政奉還に関する新史料発見の報道によせて

13日に報道された大政奉還に関する新史料から、文書における敬意表現を見てみたい。 https://mainichi.jp/articles/20171014/k00/00m/040/045000c まず、右ページ1行目が「我」のたった1文字で改行されていることがわかる。これが、9月に話題になった光秀書…

石田三成島津分国検地掟写を読む その7

第8条を読むまえに「公方」について考えたところを述べておきたい。これまで秀吉、あるいは島津と個別の領主を考えていたが、どうも両者を含む総称ではないかと思えてきた。 というのも公方には「おおやけがた」という読みがあるように本来は「公的」なもの…

お知らせ 日銀貨幣博物館の企画展

日銀貨幣博物館で企画展をやっているというニュースがあったのでサイトをのぞいてみた。 日本銀行金融研究所貨幣博物館 - 19世紀日本の風景 錦絵にみる経済と世相 過去の企画展の図録や古文書の写真も無料でダウンロードでき、貨幣史や経済史の専門家による…

石田三成島津分国検地掟写を読む その6

今日は第7条を読む。 一、漆之事、是又其村々ニて大形見斗、米つもりニ成共、又ハ銭つもりニ成共、但シうるし成共相定可書載、是ハ屋敷ニて無之所在之うるし事にて候、畠ニ在之うるしも畠主進退たるへき也、上分ニハ成ましき也、然ハうるしの木在之屋敷并畠…

石田三成島津分国検地掟写を読む その5

japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com 引き続き第6条を読んでいく。 一、茶ゑん之事、年貢をもり申間敷候、検地仕候上ハ、公方へ上り可申物ニあらす候、但ちやゑん在之屋敷並畠、検地之時少心持あるへき事、 (書き下し文) ひとつ、茶園のこと、…

石田三成島津分国検地掟写を読む その4

japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com 続いて第5条を読んでいく。 一、くろかねの事、是又見斗、年貢つもりニ成共、米つもりニ成共、可仕候、公方へ上り物ニ候間、但ほり申をも迷惑不仕様ニ念を入、つもり可申付事、 (書き下し文) ひとつ、くろ…

「天正3年3月17日今川氏真宛織田信長朱印状」

2017年10月8日放送分「おんな城主直虎」にて今川氏真が、織田信長の命により蹴鞠を披露する場面が紹介された。そこに登場するのが「天下布武」印が捺された朱印状である。 日付は「七日」と見えたので天正3年3月7日か17日、宛所は上総介=氏真宛、文面は「可…

天正10年6月13日乃美宗勝宛足利義昭御内書解釈への疑問

本能寺の変後、足利義昭が再上洛を果たそうして様々な大名に働きかけていたが、なかでも6月13日付の御内書は有名である。 (本法寺文書:引用は『大日本史料』第11編2冊801頁) 信長討果上者、入洛之儀、急度御馳走由、対輝元・隆景申遣条、此節弥可抽忠切事…