其面*1之儀、相越絵図*2申越之通、被聞召届候、水責普請之事、無由断申付候由尤候、浅野弾正*3・真田*4両人重而被遣候間、相談弥堅可申付候、普請大形*5出来*6候者、被遣御使者*7手前*8ニ可被及見候条、成其意、各可入精旨可申聞候也、
六月廿日*9 (朱印)
石田治部少輔との□(へ)*10
(四、3271号)(書き下し文)そのおもての儀、相越す絵図申し越しの通り、聞し召し届けられ候、水責め普請のこと、由断なく申し付け候由もっともに候、浅野弾正・真田両人かさねて遣わされ候あいだ、相談じいよいよ堅く申し付くべく候、普請大形出来そうらわば、御使者遣わされ手前に見及ばれ候条、その意をなし、おのおの精を入るべき旨申し聞くべく候也、(大意)忍城攻略の件について、そなたが送ってきた見積もり確認した。水攻めのための普請について油断のないよう命じたことはもっともなことである。浅野長吉・真田昌幸両名を今回も派遣したので、よく話し合って命じるように。普請が思ったより大規模になるのなら、こちらから使者を派遣して確かめさせるので、そのように心得、各人が精力的に働くよう命ずること。
石田三成が水攻めに必要な普請の見積もりを秀吉に伺うという形式を取っており、秀吉がその最終的決定をするということである。軍事の最終権限が秀吉に属したことを示す文書と言ってよいだろう。予想以上に大規模な普請になった場合は秀吉が使者を派遣して検分するという念の入れようである。浅野長吉や真田昌幸らとよく相談せよと指示している点からも、三成ひとりに指揮をまかせるというようなことはなかったことがみてとれる。