御室戸*1大鳳寺*2事、雖可被成御検地*3、①御理*4申上条相除*5者也、然者②自前〻百石、今度百石、都合弐百石分、毎年無水干損*6可納所旨、可申付者也、若於無沙汰*7者、惣郷可被加御成敗*8者也、
天正十三
十月六日(朱印)
施薬院*9
『秀吉文書集二』1644号、265~266頁
(書き下し文)
御室戸・大鳳寺のこと、御検地なさるべくといえども、おことわり申し上ぐるの条相除くものなり、しからば前〻より百石、このたび百石、都合弐百石分、毎年水干損なく納所すべき旨、申し付くべきものなり、もし無沙汰においては、惣郷御成敗を加えらるべきものなり、
(大意)
御室戸村および大鳳寺村のこと、検地すべきところだが、道理を申し述べてきている(誰が?どのような「道理」を申し述べたのか?)ので除外する。以前より百石、今回百石、計二百石を、毎年水損だの干損だのと減免せず、必ず納めるよう命じなさい。もし年貢などを未進した場合は郷全体を成敗する。
短い割にかなり厄介である。まず下線部①の「御理」(オコトワリ)を述べたのが誰であるか、またその具体的な内容がどのようなことか書かれていない。次に②の「前々より百石、このたび百石、都合二百石」の意味もはっきりしない。下線部①の「御理」については「兼見卿記」の記事を参照すべく次回に期するとして、下線部②の「前々より百石」以下について次のようなことと結びつける向きもあるだろう。
すなわち表1のとおり、11月21日付で全宗に充行われた御室戸・大鳳寺合わせて200石のことだろうと。
Table.1 施薬院全宗の知行地内訳
ちなみにこれら知行地の分布は下図のようになる。
Fig. 施薬院全宗の知行地内訳
たしかに「御室戸・大鳳寺」合わせて200石与えるということで数字上はなんとなく辻褄が合いそうではある。しかし11月21日は表2のとおり、秀吉が公家や寺社に対して一斉に知行充行状を発給しているので、全宗にだけ先に200石与えていたと解釈するのは難しい。
Table.2 天正13年11月21日知行充行発給一覧
つまり11月21日の知行充行との関連をいったん除外すると、「前〻より百石、このたび百石、都合弐百石分、毎年水干損なく納所すべき旨、申し付くべきものなり」は「従来は100石を納めてきたが、今回100石増やして計200石、水損だの干損だのといって負けることなく納めさせなさい」と全宗に命じていることになる。それなら文末の「惣郷御成敗を加えらるるべきものなり」=郷村の構成員全体を追及するという部分とも齟齬なく解釈できる。全宗は御室戸大鳳寺を支配する領主=給人ではなく、代官だった可能性が高そうである。そののち11月21日領主に横滑りしたのではないだろうか。