日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正18年7月3日充所欠豊臣秀吉朱印状写(道作につき法度)後編

 

 

 

一、船渡橋*1以下見計、橋□□へき所付しるし可申上事、

 

一、橋之材木、其近所之山林にてきりよせさせ可集置候*2、重被遣御奉行*3、橋をかけさせらるへき事、

 

一、会津まての道すち・御□*4まり*5共、城〻にても御座所*6之儀、城主*7并在番*8之者共ニ可申付事、付道奉行五人、兵粮・塩噌*9如帳面*10、城□手寄/\にて可請取之、次馬飼*11として大豆壱升*12・ひえ*13壱升つゝ被下候、并町送*14人夫十人被仰付候、此外*15地下人百姓ニ非分之儀不可申懸事

 

   天正十八年七月三日*16 御朱印

(四、3289号)
 
 
(書き下し文)
 

一、船渡橋以下見計らい、橋□□べきところしるしを付け申し上ぐべきこと、

 

一、橋の材木、その近所の山林にて伐り寄せさせ集め置くべく候、かさねて御奉行を遣わされ、橋を架けさせらるべきこと、

 

一、会津までの道筋・御泊とも、城〻にても御座所の儀、城主ならびに在番の者どもに申し付くべきこと、つけたり道奉行五人、兵粮・塩噌帳面のごとく、城□手寄手寄にてこれを請け取るべし、次に馬飼として大豆壱升・稗壱升ずつ下され候、ならびに町送人夫十人仰せ付けられ候、このほか地下人百姓に非分の儀申し懸くべからざること

 
(大意)
 
一、船橋などを検分し、架橋すべきところに、印を付けるように命じなさい。
 
一、橋の材料である材木は、架橋すべきところの近辺の山林から伐り出し集めておくこと。さらに奉行を遣わすのでその監督下で架橋すること。
 
一、会津までの道筋や宿、諸城における御座所については、城主や在番の者たちに申し付けること。つけたり、道奉行五人は兵粮や塩味噌を帳面の通りに、もよりの城にて請け取るように。また馬糧として大豆・稗それぞれ1升ずつ与える。また町送り人夫を10人徴発すること。これ以外に地下人や百姓に謂れのない負担をさせないように
 

 

 

 

Fig. 船橋

 

                                  「船橋」(『日本国語大辞典』)より

 

本文書は会津までの道普請を行うにあたり発出した文書であるが、伊達家文書に写(コピー)として伝わるものである。したがって伊達家にも発せられたものだが、会津は伊達家の居城であり、会津周辺は伊達家も負担せよ、ということなのだろう。

 

まずは渡河すべき河川には上図のような臨時の船橋を設置するように命じている。

 

ついで船橋を架橋するのに必要な木材を、その近辺の山から伐り出して集めておくよう命じたものである。さらに材木奉行か山奉行を派遣するのでその監督下で人夫を働かせるよう命じている。

 

さらには途中の城主や在番の者が御座所を用意すること。付けたりとして垣見弥五郎ら道奉行5名が兵粮や塩味噌を帳面の通りに受け取ること。また馬糧を大豆・稗それぞれ1升ずつ与えるように。さらに町送り人夫を10名徴発すること。ただしこれ以外に地下人や百姓に負担を掛けることは禁ずる。

 

馬糧の大豆からはタンパク質が得られるし、稗は穀物なのでエネルギー源となるので案外よく考えられていたことがわかる。

 

御座所を各地に設けさせるのも関白の権威づけに役立てたいという秀吉の意思なのだろう。また「帳面」を作成させた点も秀吉らしい。

 

ただし「町送り人夫」については本文書からはよくわからないので今後の課題としたい。

 

 

*1:川に舟を並べて橋とする舟橋。下図参照

*2:橋の材木は現地調達。ただ伐り出す人夫や木材の対価の支払いについては不明で「平和的」掠奪だった可能性もある

*3:次条に「道奉行」とあるので別の秀吉の奉行か。具体的に誰を指すかは今後の課題とする

*4:とカ

*5:宿のこと

*6:おわしどころ/おましどころ/おわしましどころ/ゴザショ。貴人のための特別な居室や寝床

*7:秀吉に臣従した城主

*8:攻め落とした城の在番

*9:エンソ。塩と味噌

*10:「帳面」は伝存していないが、こうした帳簿を作成していたことは注目に値する

*11:馬糧

*12:1升=18リットル

*13:

*14:病人などを次の町まで送り届ける通信交通手段。戦場の負傷者を対象としているのかは不明

*15:町送人夫以外の課役

*16:グレゴリオ暦1590年8月2日、ユリウス暦同年7月23日