なを/\うちなお*1事、ぬし*2一人はらをきり、たてこもるものとも、いのちをゆるし*3候やうにと、さま/\なけき*4候へとも、ゆるし申さす候、なにさまにも*5ほとなく存分のことく申つけ候へく候*6まゝ、御心やすく候へく候、かしく
この面見まひ*7として御ふミ*8、ことに色〻のくわし*9ともねん*10を入給り候て、はる/\の御こゝろさし*11、よろこひ覚へ候、るす*12のあひた、しゆらく*13ニ門せき*14もとうせん*15にさいきやう*16のよし、まことにきとく*17なる心入にて候、さてハ八しう*18の事、こと/\く御心*19のまゝにおほせつけられ*20候、おたハら*21一城まて候、やかて*22/\ほしころし*23に申つけ候へく候、かしく、
七月五日*24 (朱印)
(ウハ書)
「 北の御かたへ*25
御返事申させ給へ*26 ひで吉 」
(四、3292号)(書き下し文)
この面見舞いとして御文、ことに色々の菓子とも念を入給り候て、遙々の御志し、喜び覚え候、留守のあいだ、聚楽に門跡も同然に在京の由、まことに奇特なる心入りにて候、さては八州のこと、ことごとく御心のままに仰せ付けられ候、小田原一城まで候、やがて干し殺しに申し付け候へく候、かしく、
猶々氏直のこと、主一人腹を切り、立て籠もる者ども、命を赦し候ようにと、様々歎きそうらえども、赦し申さず候、何様にも程なく存分の如く申し付け候へく候まま、御心安く候へく候、かしこ
(大意)
小田原陣への見舞いとしてお手紙、特に吟味した様々なお菓子を、遠路はるばるお送り下さり喜びに堪えません。京都を留守にしている間、聚楽第に門跡も大名同様に在京しているとのこと、まことに感心なお気遣いに存じます。さて、関八州の件ですが、すべて私秀吉の意のままに平定されます。小田原城もすぐに干し殺しになるよう命じます。かしく。
なお北条氏直は城主一人が腹を切り、籠城する者は助命するように色々と申してきていますが、認めていません。とにかく近いうちに平定しますので、ご安堵下さい。かしく。
秀吉は3年前に大坂城から聚楽第に移り、諸大名も集住させた。本文書では門跡といった高位の僧侶も同様に集住したこと、如春尼がそれの実現に奔走したことが読み取れる。聚楽第は秀次が失脚したあと徹底的に破壊されてしまい往時をうかがう史料に乏しいが、その様子を図1、2に示した。
聚楽とは「長生不老の楽しみを聚(あつ)むるもの」の意で、フロイスは『日本史』において「彼(秀吉)はこの城を聚楽(juraku)と命名した。それは彼らの言葉で悦楽と歓喜の集合を意味する」とカトリックらしく批判的な説明をしている。建造中は「内野御構(うちのおかまい、うちのおんかまえ)」と呼ばれていた。
Fig.1 聚楽第周辺遺構分布図

Fig.2 聚楽第図屏風

それはさておき、本文書の下線部で北条氏直が自分が腹を切るから籠城している者は助命してほしいと何度も申し入れをしてきたが、突っぱねたと述べている。小田原城には非戦闘員である女性*27や子ども、老人や病人なども相当数立て籠もっていただろうことは岩付城や八王子城などの例からも容易に推測される。つまり秀吉は彼ら彼女ら非戦闘員も含めて餓死させるつもりだったわけである。こうした殲滅を彼らは「撫で斬り」や「根切り」と呼んでいた。大量虐殺を英語で「ジェノサイド」(genocide)と呼ぶが、ギリシャ語で「種」*28に由来する「ジェノ」と「殺人」を意味するラテン語由来の「サイド」を組み合わせた造語である。まさに「根切り」や「撫で斬り」はジェノサイドと呼ぶに相応しい行為である。
*1:北条氏直
*2:主
*3:赦し
*4:歎き=歎願
*5:とにかく
*6:「候べく候」は女性の手紙によく見られるが意味は「候」と同じ
*7:見舞い
*8:文
*9:菓子
*10:念
*11:お志し=ご厚意や贈り物
*12:留守
*13:聚楽
*14:門跡=本願寺のこと
*15:同然
*16:在京
*17:奇特=感心なこと、すぐれていること。「変わった」とか「変な」という意味ではない
*18:八州=関東
*19:秀吉の心
*20:仰せ付けられ
*21:小田原
*22:頓而=すぐに
*23:干し殺し=飢えさせる
*24:天正18年、グレゴリオ暦1590年8月4日、ユリウス暦7月25日
*25:教光院如春尼。本願寺第11代法主顕如の室
*26:ご返事まで。逐語的には「ご返事を申し上げさせて下さい」という意味
*27:女性であることが直ちに非戦闘員であることを意味する訳ではない。様々な史料に女性兵士の姿が見られるためであるし、第二次世界大戦中のソ連軍女性兵士のような例も見られるからである。なおロシア映画「バタリオン」(大隊や中隊の意)は二月革命後のケレンスキー率いるロシア臨時政府の女性部隊を描いたものである
*28:ゲノム=遺伝情報と同根