今回は充所を欠くが、伊達家に伝わる朱印状写を採り上げる。小田原から会津に至る街道の整備と百姓から人夫役を徴発する基準を定めている点で興味深い。ただし長文なので前半後半に分けて読むことにする。
従小田原面至于会津道作御法度事
一、道作之為奉行、垣見弥五郎*1・水原亀吉*2・西河八右衛門尉*3・杉山源兵衛尉*4・友松次右衛門*5□□□*6人被指遣候、然者自当表*7会津迄、横三間*8之海道*9可作之事、
一、道之手寄*10/\百姓召出、道普請、其国郡〻見計可渡宛事、
一、少も礼銭・礼物*11を取□用捨、又者不謂族於申懸者、奉行共可為曲事、於以来*12も被聞食付次第、可被加御成敗事、
一、道普請無沙汰之百姓有之者、可被加御成敗条、所*13を書付可致言上、為私成敗之儀*14不可仕之事、
(以下次回)
(四、3289号)(書き下し文)小田原おもてより会津に至る道作御法度のこと
一、道作の奉行として、垣見弥五郎・水原亀吉・西河八右衛門尉・杉山源兵衛尉・友松次右衛門尉ら五人指し遣わされ候、しからば当表より会津まで、横三間の海道つくるべきのこと、
一、道の手寄手寄の百姓召し出し、道普請、その国郡国郡見計らい渡し宛つべきこと、
一、少しも礼銭・礼物を取り□用捨、または謂れざる族申し懸くるにおいては、奉行とも曲事たるべし、以来においても聞し食し付けられ次第、御成敗を加えらるるべきこと、
一、道普請無沙汰の百姓これあらば、御成敗を加うらるるべきの条、所を書き付け言上致すべし、私として成敗の儀仕るべからざるのこと、
(以下次回)
(大意)小田原から会津に至る道普請の法度について
一、道普請奉行として、垣見弥五郎・水原亀吉・西河八右衛門尉・杉山源兵衛尉・友松次右衛門尉ら五名を派遣した。したがって小田原から会津まで横幅3間の街道をつくるように。
一、街道筋のもよりの百姓を徴発して、道づくりにその国郡の様子を按配しながら負担を割り当てるように。
一、礼銭や礼物を受け取ったものは容赦なく、また無理難題を吹っ掛けてくる者があらわれたら、奉行も同罪である。また今後露見した場合もそのたびに厳罰に処す。
一、道普請を命じても応じない百姓がいたなら厳罰に処すので、その者の郷村を書面に記して報告せよ。私的に処罰してはならない。
Fig. 小田原から会津まで

秀吉は小田原から奥羽地方の会津まで進軍するにあたり、街道の整備を5名の奉行に命じた。幅が5.4メートルというかなり広めの道である。これをおよそ400㎞にわたって整備させるというのは巨大なプロジェクトになるだろう。そのために街道沿いの百姓を徴発せよと命じている。
検地と同様に便宜を図って貰うための礼銭・礼物の受け取りを禁じている。
さらに徴発に応じない百姓がいたら厳罰に処するよう命じているが、自力救済を禁じている点も注目される。