日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正16年4月15日菊亭晴季・勧修寺晴豊・中山親綱宛豊臣秀吉判物写

 

一、京中銀地子*1五千五百三十両余、可為禁中御料所*2之事、

 

一、米地子*3八百石之内、三百石院御所*4・五百石六宮関白領*5

 

一、於江州高島郡*6八千石、諸門跡*7・諸公家衆へ進之

 

右如件、

 

若御奉公*8懈怠*9之輩於有之者、為叡慮*10御計*11被成候様に可被仰上者也、

 

  天正十六年卯月十五日  秀吉

      菊亭殿*12

      勧修寺殿*13

      中山殿*14

 

(三、2460号)
 
(書き下し文)
 

一、京中銀地子五千五百三十両余、禁中御料所たるべくのこと、

 

一、米地子八百石のうち、三百石院御所・五百石六宮関白領、

 

一、江州高島郡において八千石、諸門跡・諸公家衆へこれをまいらせ

 

右くだんのごとし、

 

もし御奉公懈怠の輩これあるにおいては、叡慮としてお計らいなられ候ように仰せ上げらるべきものなり、

 

(大意)
 
一、京中の地子銀5,530両ほど、天皇領とする。
 
一、米納による地子800石のうち、500石を正親町上皇へ、800石を六宮智仁親王領とする。
 
一、近江国高島郡より8,000石、諸門跡および諸公家衆へこれを進上する。
 
右の通りである。
 
もし朝廷への奉公を怠る者がいたならば、天皇にお伺いを立てるものである。
 

 

Fig. 近江国高島郡周辺図

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                   『日本歴史地名大系 滋賀県』より作成

下線部にあるように、この文書と同日付で「聚楽行幸」を理由に近江高島郡で合計8,000石、公家宛に知行地を進上している。「令宛行畢」(宛てがいせしめおわんぬ)とあるので事実上の知行充行と考えてよいだろう。

 

Table. 天正16年4月15日公家への知行充行

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                       三、2461~2483号文書



          

*1:土地に懸かる雑税のひとつ、これは銀納

*2:朝廷直轄領

*3:地子として米で納めること。「洛中洛外図」や検地帳を見ると洛中で田畠の耕作が行われていた

*4:正親町上皇

*5:八条宮智仁親王

*6:琵琶湖西岸、下図参照

*7:皇族・公家出身者が住職を務める寺院

*8:天皇への奉公

*9:ケタイ、疎かにすること

*10:天皇の意思

*11:意見を伺う

*12:今出川晴季、従一位右大臣

*13:晴豊、正三位権大納言

*14:親綱、正二位権大納言