掲載された書簡の一部を読んでみる。
郵便番号の導入が1968年7月1日であり、三島の死が 1970年11月25日、消印が「?5.11.20 8-12」なので昭和45年、自決1週間ほど前の書簡らしい。記事本文中でも「自決する6日前に同窓の友人宛てに送った」とある。
(封筒ウハ書き)
「新宿区余丁町78
坊城俊民様」
拝復 すツかり御無沙汰してをります、展覧会・・・ん下さつた由、恥ずかしくも恐縮
(中略)
その後行き会ひません 文士にな・・・
文士のいやらしさのみが目につき、おそらくこんな我儘は、銀行員になつてゐても何になつてゐてもおなじだつたでせう。
(中略)
たのしみにしてをります
何卒お元氣で 謹言
十一月十九日 三島由紀夫
坊城俊民様
三島由紀夫が銀行員になっていたら・・・。