日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

有馬温泉と秀吉 その2 湯治にともなう出費と精算 ブラタモリ #97 有馬温泉

大日本史料総合データベース」によると文禄3年12月28日「有馬湯山御算用状之事」という史料が残されている。このうち支出について見てみたい。

 

 

    有馬湯山御算用状之事

一、弐百五拾石     文禄弐年分納物成
一、百五拾石      同三年分納物成
    此外百石    薬師堂文禄三年ゟ御寄進
一、 六拾石        銀子拾枚天正廿年分
            但壱枚付而六石五斗かへ
一、弐百拾石      銀子卅五枚文禄弐年分
            但壱枚付て六石かへ
   (中略)


右払(闕字)御朱印(闕字)御黒印、小日記何も請取申候、此日付以前払い方(闕字)御朱印御黒印其外小日記雖有之御算用ニ相立申間敷候也
文禄三年十二月廿八日                

        長束大蔵(花押)

        増田右衛門尉(花押)       

 

    
(書き下し文)

 


   有馬湯山御算用状のこと

ひとつ、250石     文禄2年分物成納め
ひとつ、150石     同3年分物成納め
    このほか100石   薬師堂文禄3年より御寄進
ひとつ、60石      銀子10枚天正20年分
            ただし1枚について6石5斗替え
ひとつ、210石     銀子35枚文禄2年分
            ただし1枚について6石替え
   (中略)


右の払い、御朱印、御黒印、小日記いずれもうけとり申し候、この日付以前に払い方、御朱印、御黒印そのほか小日記これあるといえども、御算用にあい立て申すまじく候なり

 


(大意)

   有馬湯山の勘定の件

ひとつ250石は、文禄2年分の年貢として納めた。
ひとつ150石は、同3年分の年貢として納めた。
    この2件のほかに100石は文禄3年より薬師堂への寄進分として免除する。
ひとつ、60石は銀で10枚天正20年分の年貢として請け取った。ただし銀1枚につき6石5斗換算とする
ひとつ、210石は銀で35枚文禄2年分年貢として請け取った。ただし銀1枚につき6石換算とする
              (中略)


右の払い、朱印状、黒印状、小さな記録にいたるまですべて請け取った。この12月28日以前の日付の支出分、朱印状、黒印状そのほか小さな覚書が出てきたといっても、勘定に入れることはまかり成らない。

 

 

中略部分には「入」「払」(=支出)「過上」の内訳が書かれている。そのうち支出部分の割合を示したのが以下のグラフである。

 

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「まめ」は馬の餌にあたる「大豆」であるが、合算されている。「こほち」とあるのは「毀つ」で、壊れた寺に10石ほど、また「湯山惣中」、つまり湯山村に100石ほど寄付している。一度年貢として納めたものを「下され」という行為によって村へ返していたわけだが、この秀吉の行動が何を意味しているかまではわからない。