日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正10年6月3日 明智光秀、正親町天皇を殺害し、御所を焼き払うとのうわさが英俊の耳に入る。 英俊、呪詛97万2900遍唱える

多聞院日記天正10年6月3日の条に以下の記事が見える。

 

(六月脱)
 (朔日脱)
 (四条目)
一、 信長公一昨日二十八日上洛云々、大宮番衆へスヽ・両種遣之、
(中略)
二日
一、 信長於京都生害云々、同城介殿も生害云々、惟任并七兵衛(後筆「コレハウソ」)申合令生害云々、今暁之事今日四之過ニ聞へ了、勢者必衰之金言、不可驚事也、諸国悉転反スヘキ歟、世上無常、追日現眼前々々、様躰ハ慥ニ不知、如何可成行哉覧々々、

 

 

三日、暁ヨリ又大雨下、京都ノ儀慥ニハ不聞へ、二条殿へ城介逃入、当今を人質ニ取間、則時共ニ王(ウソ)モ御生害、新ヰシモ放火了云々、誠歟、淺猿々々、⦿咒合九十七万二千九百返了、

 6月3日の書き下し文と大意

 

(書き下し文)

 

三日、暁よりまた大雨ふる、京都の儀たしかには聞こえず、二条殿へ城介逃げ入り、当今を人質に取るあいだ、すなわち時とともに王(ウソ)も御生害、宸位下放火しおわんぬとうんぬん。まことか、浅ましき猿浅ましき猿、⦿合わせて九十七万二千九百べん呪いおわんぬ、

 

*城介:秋田城介(あきたじょうのすけ)織田信忠

 

*当今:「とうぎん」今上天皇、つまり正親町天皇

 

*王:正親町天皇


*新ヰ:宸位。玉座

 

*猿:ずるがしこい者や、物まねのじょうずな者などをあざけっていう

 

*咒:のろう

 

(大意)

 

三日、早朝からまた大雨降る。京都本能寺の件正確な情報はまだ入ってこない。二条の屋敷へ織田信忠が逃げ込み、天子さまを人質に取っているので、いずれ天子さま(のちに聞いたところこのうわさは事実でなかった)も殺され、玉座も放火してしまったといううわさだ。それは本当だろうか、なんという愚かしい男だ。⦿光秀にのろいの言葉を合計九十七万二千九百回唱えてやった。

 

 ⦿:実際には

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わかる人が見ればいかなる種類の呪いがかけられているのかわかるのだろう。呪いに詳しい方のご指導を仰ぎたい。

 

興福寺法相宗なので経典などに書かれているのだろうか、それとも限られた者だけが口伝によって継承したのかわからない。丑の刻参りのようなポピュラーな、大衆的なものでなくもっと「高尚な」呪いだったのかも知れない。

 

信長存命中は「信長公」、討たれた直後は「信長」と呼び捨てにするところに、英俊の信長に対する感情が読み取れる。「勢者必衰の金言、驚くべからざることなり」と冷静に受け止める一方「諸国ことごとく転変するだろうか、世上は無常だ」と「信長の平和」が一夜にして瓦解することを認識していた。織田政権は、信長ひとりに権力が集中したため、信長亡きあとの権力基盤は脆弱だったと見ていたひとりが英俊だったのである。

ただ、正親町天皇を人質に取ったといううわさが耳に入ると英俊の立場は大きく変わる。とても面白い史料だ。

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http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1207471/4?tocOpened=1