日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

2018-02-06から1日間の記事一覧

天正10年6月3日 明智光秀、正親町天皇を殺害し、御所を焼き払うとのうわさが英俊の耳に入る。 英俊、呪詛97万2900遍唱える

多聞院日記天正10年6月3日の条に以下の記事が見える。 (六月脱) (朔日脱) (四条目)一、 信長公一昨日二十八日上洛云々、大宮番衆へスヽ・両種遣之、(中略)二日一、 信長於京都生害云々、同城介殿も生害云々、惟任并七兵衛(後筆「コレハウソ」)申合…

天正20年12月文禄改元

興福寺に多聞院英俊という僧が書き残した日記がある。「多聞院日記」である。ベストセラー呉座勇一『応仁の乱』の主人公のひとり、尋尊が著した「大乗院寺社雑事記」と並び立つ、詳細な日記である。日記といっても私的なものでないことは同書200頁以下に説明…