温泉番付の一部を掲出する。
大関 関脇 小結
西 摂津有馬湯 但馬城之崎ノ湯 予州道後湯
秀吉と有馬温泉の関係を示す史料は、「大日本史料総合データベース」で14件、「古文書フルテキストデータベース」で1件ヒットする。また「日本古文書ユニオンカタログ」でもいくつかヒットする。
その中でもっとも古いものが以下の史料である。
207.有馬郡之内道場河原百姓中町人宛判物
諸役令免許候、以上
当所地下人并町人等、如前々可還住、若非分族在之者可加成敗者也、
天正七年 藤吉郎
十一月廿六日 秀吉(花押)
有馬郡之内道場河原
百姓中
町人
(豊臣秀吉文書集 一 68頁)
(書き下し文)
当所地下人ならびに町人など、前々のごとく還住すべし、もし非分のやからこれあらば、成敗を加うべきものなり、諸役免許せしめ候、以上
(大意)
有馬郡道場河原の者どもが逃散しているが、従来どおり安全を保証するから帰ってきてここに住みなさい。もし、代官や地頭が理不尽な対応をしたならば、必ず成敗する。公事や夫役などの課役は免除する。以上。
ちなみに、番組に出演された松田法子氏の業績はこちら。ただし「建築雑誌」所収の論文は1部1080円で有料となっている。
https://ci.nii.ac.jp/nrid/9000006017784