「ひとたらし」という言葉を、処世術やビジネスマナーなどの記事で見かけるとき、それらほとんどが褒め言葉である。しかし、以前述べたように「たらす」という言葉は16世紀から19世紀にかけてけなし言葉だった。(註)「女たらし」が褒め言葉かどうかでも察しがつく。ただ「女たらし」はけなし言葉でも「ひとたらし」は褒め言葉だ、と主張することもできる。言葉は生き物なので意味が変化し、けなし言葉が褒め言葉に転化することも珍しいことではない。問題は、歴史的にものを見る場合、当時の文脈に沿って理解すべきか、それとも現在の自らの問題意識に沿った形で解釈するかということに尽きる。前者が歴史学の立場であり、後者はその他の分野になる。
(註)
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そもそも秀吉が生きているときから「ひとたらし」と呼ばれていたのか、最近言われるようになったかという問題はすぐれて歴史的問題である。
そこで同時代の辞書である「日葡辞書」(1603年)をもう一度確認しよう。
Taraxi,su,aita タラシ、(タラ)ス、(タラ)シタ
だます、あるいは、口車に乗せる → Maisu
土井忠生他編『邦訳日葡辞書』614頁
Taraxi. l. taraxite タラシ、または、タラシテ
詐欺師、あるいは、口先だけでだます人
土井忠生他編『邦訳日葡辞書』614頁
Maisu マイス(売子、売僧)
すなわち、Fitouo tarasu mono
(人をたらす者)人をだます者、あるいは、詐欺師
Maisuuo yǔ(売子を言ふ)勝手気ままにいろいろなことを言って人をだます、あるいは、欺く
土井忠生他編『邦訳日葡辞書』380頁
繰り返しになるが、秀吉の時代、「ひとたらし」は詐欺師の意味しかない。当時秀吉がひとたらし=詐欺師と呼ばれていたなら、人々は日本は詐欺師が治める国と自覚していたことになる。このネガティブな意味は19世紀まで確認できる。とすれば褒め言葉で「ひとたらし」が使われるようになったのは、ごく最近のことになる。この間の事情はつまびらかでないが、歴史学の立場からは秀吉がひとたらし=詐欺師と呼ばれていたとは言いがたい。
もちろん処世術やビジネスマナー習得には歴史的事情は問題外なのであろうし、史実であるかどうかも問題ではないのだろう。